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将棋・囲碁。着手空間広さと人間の対ソフト優位性との相関性(長さん)

表題はやや不明確だが、今回は、チェス・将棋・囲碁・オセロ等のボード
ゲームで、着手空間広さと、人間の対ソフト優位性とは相関しないとの旨
書かれた、さいきんの成書を紹介した上で、当否や対策を論じる。
 ここで、対策まで必要なのは、従来

大将棋が、着手空間が広いので、人間の対ソフト優位性が有りと見て、
そもそも本ブログは、大将棋に期待をかけてきた

からである。
 ではいつものように、結論から書くことにしよう。

着手空間より、局面評価値の平坦性の無さが、人間の優位性を保障してき
たと言うのが、最近の定説になった。

そこで、対策としては、
棋士が専門的にプレーする、ゲームの種類を増やすと、人間特有の”近接
ゲームのコツに対する、類推力が大きい”という性質により、ソフトへの
優位性が保たれるはずだという点を、今後は大将棋の普及の根拠にするよ
う、本ブログでは、

戦術路線を修正

する事にした。
 では以下に、以上のようにコンピュータ将棋ソフト制作者内では、定説
になっているようだと、本ブログの管理人が捉えた経過と、対策の結論に
至る道筋について書く。
 この論点が、明確に書かれた最近の成書は、以下の物である。

”人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?”、ダイヤモンド社
山本一成著、2017年

言うまでも無く、愛知学院大学の山本一成氏は、コンピュータ将棋ソフト
のポナンザで、現名人の佐藤天彦氏を、2連敗させた事で著名である。
 この著書の第一章の見出し群の中に、明解に今回の論題の根拠となる、
フレーズが出ている。

局面数が多いから人間に勝つのが難しいわけではない。(044)

 内容を読めば判るが、チェスより将棋のソフトの発達が遅れたのは、
着手空間が広かった為では無くて、
”局面評価値の平坦性の無さが、人間の優位性を保障してきた”為と、
実質書かれている。
 なお、チェス、将棋と続いて、更に囲碁の話が出てくるが、この記事
を書いている時点で、本ブログの管理人は、囲碁のモンテカルロ法の図
を、ちらりと見ただけで、アルファ碁の活躍の話を、まだ読んでない。
 では、複雑さは、人間のソフトに関する優位性に寄与しないかどうか
だが、本ブログの管理人の私見では、

山本一成氏の意見は、囲碁が例外だっただけであり、実質余り正しいと
は言えない、

とみている。
 ゲームのルールをデザイナーが工夫すれば、複雑化との相乗効果で、
やはり人間の方が、ソフトより有利な、ボードゲームになると考える。
 将棋を例にしよう。

走り駒があったとする。そのうちの一部の走り駒の、走りの動きについ
てのそのまた一部を、

A.跳び駒にする。
B.制限のほとんどない、無限升目跳び駒にする。
C.Bの無限性に加えて、途中の相手駒が取れる、踊り駒にする。
D.取れるのではなく、途中の相手の駒は、前後をひっくり返して、
自分駒にできるという、踊りオセロ駒にする。
E.Dで、更に取った駒で、成れるものはその場で、提婆、無明の如く
に、跳ねた自駒とは別に成る。つまり本当に駒の裏返しも出来るとする。

単なる走り駒の、ほんの一部をABCDEと変化させる事により、
局面評価値の先の局面での平坦性は、どんどん失われる。ここで”一部”
とは、具体的には、自陣の奥にあり、中盤後半まで動けない駒を使うと
良い。
 さらに、一般に盤升目二桁以上の将棋では、玉回りにだけ、中終盤駒
打ちが行われてしまうという理由で、持ち駒ルールが棋譜見栄えの上で、
取り込み難いという現実がある。これとて、

F.取った駒は、互いの玉から一定度離れた所、たとえば中間段に有る、
相手の走り駒に対して、駒取りを掛ける時にしか、打て無い

等の、特殊な持ち駒ルールを導入すれば、取り捨ての将棋で無くする事
も可能であろう。これなら、持ち駒ルールの有る将棋でしか、余興では
本職に影響してしまうと、参入に尻込みをしているプロ棋士に、駒数多
数将棋に、興味を持ってもらうことも、技術的に不可能とまでは、言え
なくなるだろう。Fは終盤、中間段に走り駒は消えるだろうから、寄与
無しとしても、少なくとも上の例でDやEの工夫で、終盤の局面評価値
の発散が、適宜作れるだろう。そうすれば、更に駒数が多いという事に
よって、ゲームのヒネリの多重度は増し、本当にこれでも、ソフトが、
人間に対して、現行の優位性を保てるのかどうか、正直私には疑問だ。
 つまり、

ゲームのルールは、しょせん人為的な取り決めにすぎないため、いつ考
えても良いし、内容もどうにでもなる

という事だ。

だから、私は内心は、山本一成氏の2017年の論に賛成できない。

 繰り返すが、囲碁のソフトの成功は今の所、”たった一つの例外”で
しか、ひょっとして無いのではないか。だから、更にもう1つか2つ、
事例が出てきてから、山本一成論の味方をしても、

本ブログのように、人間が勝つことこそ善だ

と、古典的に見ているブログでは、遅くは無いような気もする。
 そうは言っても、しょせん、学生時代に何をしてきたのかも判らぬ、

得体の知れない本ブログの管理人だけが、今や英雄の山本一成テーゼに
反対してみたところで、ゲーム学会では、しょせん圧倒的少数派

なのであろう。本人は”流星群でも、惑星の引力が、より長期間加わり、
より軌道変化を起こした後でも見えている、老いて健在な流星群の方が、
流星のテスト粒子が多く必要である。だから計算が煩雑なため、
しぶんぎ座流星群等の方が、より若い時代にだけ見えるだけの、構造の
単純な、ジャコビニ流星群などに比べて、現実として相対的に予想精度
が悪く、難易度が高い。以上のコンピュータ天文計算ソフトの、
20世紀終盤での、

天体力学手計算家に対する、AIの勝利

を思い出しながら、この文を書いてはいるのではあるが。しかし、そん
な話が、通るはずも無いという事だろう。なお西暦2019年のEUの
しぶんぎ座流星群の1月4日明け方の出現は、2014年の日本よりも
わずかに少ない程度。バーストしたとまでは、行かなかった。従って、
2019年と2018年とで、本当に極大時の流星の出方が、しぶんぎ
座流星群では、地球規模で違い、日本に極大時刻の良条件が回ってきた
とき、出方が渋いという点が、確認されたに留まった。ともあれ。
 そこで将棋の話に戻すと、対策の結論に書いたように、今後は、棋士
が専門的にプレーする、ゲームの種類を増やすと、人間特有の”近接ゲー
ムのコツに対する、類推力の大きさが大きい事”により、対ソフトの
優位性が保たれるはずだという点を、普通唱導集大将棋(2017年盤・
方行入り・本ブログ改良)の普及の根拠にするよう、本ブログでは、
戦術路線を修正する事にしたのである。
 というのも、本ブログでは、もともと平安大将棋が大将棋になったの
は、西暦1140年頃。発生はそれより約30年前の、西暦1110年
頃であるとみており、とうしょは、

9升目タイプの標準平安小将棋を、第一標準日本宮廷将棋とする、
いわば、13升目の第ニ標準将棋の位置づけであった

と見ているからである。つまり、複雑化を元々意図したものではなくて、
たまたま標準が、日本では複数元々存在したという、歴史認識の立場だ。
 そこで、ここでのその歴史の推定に基づき、広く第ニ標準としての、
普通唱導集大将棋(本ブログ推定かつ更に、微修正)を、推薦する事に
したわけだ。

今までとの違いは、現行の日本将棋を否定する要素が、完全に消えた

という点である。
 更に直近には、歴史的には中将棋だけでなくて、獅子に関する特別な
規則の無い、

12升目の狛犬型中将棋も、本ブログでは、指された将棋として話題

にするようになった。
 コンピュータは、これから定跡を形成するようなゲームでは、現実、
力を発揮しないように見える。他のゲームから、今回の対局で始めて、
そのアイディアを持ってくるという事が、頻繁に起こるゲームは、
さぞや人間に比べて苦手だろう。よって、ゲームが複雑だから、ソフト
が弱そうだと主張するのではなくて、ソフトに、してやられて、がっか
りしている、プロ棋士や元プロ棋士に推薦紹介する、駒数多数将棋の
利点は、

それが途方も無い過去、実際に指されたが、誰も定跡を覚えている者が
おらず、着手のコツはこれから再度考えて、ゆかねばなら無い

という点だと言う、主張になるという事になる。(2019/01/09)

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