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花営三代記1424年室町お城将棋。なぜ奔王出し勝ちルールか(長さん)

以前、表題の室町時代初期、西暦1424年、足利義量時代の新
大御所、足利義持御前で行われたお城将棋で、奔王を出して勝ち
ルールの意味を、”奔王を敵陣内に突入させ、相手が奔王取りを、
掛けられなければ勝ち”と、本ブログでは解釈したと述べた事が
あった。前後するが、将棋種は、恐らく現代のルールに近い、
多彩な成りも有る、中将棋だったと考えられる。
 なお、そのとき書かなかったが、先行研究として、木村義徳氏
が、持駒使用の謎で”奔王落としと同義”であると述べる、研究
結果を出している。奔王落とし中将棋に、難点があるとは思えな
いので、この考えを完全否定するのは困難である。ただし、

1.これだと、普通の中将棋を11局指しをしているのと同じな
のに”時間が長すぎる”と、足利義持が文句を言わなかった理由
が謎。
2.奔王落としは良いとして、記録は1424年1425年の記
録3回に2回、13局中で少なくとも2局に”奔王を出す”とし
てそれだけであり、”出す”が”落とす”と同義ならば、銅将や、
反車を落とすケースが無いのは、やや不自然。
3.”負けた側に、奔王を出した”と古文書は記載しているが、
これが奔王駒を落す事と、どう結びつくのか、いっけんすると謎。

以上の、問題はあるかもしれない。特に3が大きな問題だろうか。
なお、普通の中将棋だろうと仮定している点では、木村義徳氏の
持駒使用の謎も、本ブログも同じであり、今の所、もっと斬新な
説が有ると言う話は無さそうだ。実は、

本ブログの方が木村説より断然優位とは、本ブログの管理人にも
言えるだけの自信は、実際の所余り無い。

と言うのも、”奔王を敵陣に突入させて、1手保てれば勝ち”と
いう、本ブログの解釈だが、

A.劣勢な方が自陣に隙ができやすいので、奔王は突入して保て
るのかもしれない。が、本来の中将棋の詰みを目指す将棋で、
奔王に、走り駒攻撃力としての、特殊性や、位置による性能差が
特に無い。だから奔王位置が普通の中将棋で、問題になる事が
余り無いにも係わらず、奔王の前出しにこだわって、それを、
対局時間短縮を、主な目的とするのかもしれないが、室町時代に
勝敗(ゲームの終端条件)の基準にしている根拠も、実際の所良
く判らない

という、かなり致命的な、問題があると見られるからである。
中将棋を普通に指すとき”奔王が敵陣に入ると、他の走り駒とは
違い、終局が近い”という話は、中将棋に関して特に無いと思う。
 では、室町幕府のお城将棋で、本ブログの言うのが、仮に正し
いとして、なぜ、龍王成り勝ちでも、龍馬成り勝ちでもなくて、
我々の解釈での奔王出し勝ちルールにしたのかを、今回は論題と
する。
 回答から書く。

普通唱導集大将棋時代に、麒麟が先に敵陣に入って、相手の当た
り駒が無ければ、ほぼ勝ちだったという前例に、形式的に倣った

のである。
 では、以上について以下説明する。
 この理由付けに必要な点は、では何故、”獅子を出して勝つ”
にしなかったのかという事であろう。強い駒から並べて、XX駒
が、一番だったとして”XXを出して、(または成って)勝ち”
というシキタリに従ったとして、獅子が除外された理由が、問題
になる。
 答えは”獅子を高伸びさせても、中将棋では優勢とは限らなかっ
た”からだとみられる。
 このお城将棋には、明らかに元駒の獅子が有る中将棋とみられ
る。中将棋では、獅子は中盤の後半には、相手走り駒を当てられ
やすくなるので、最終局面までチャンスが無い限り出さない。
ので、獅子を出して勝ちのルールに変えても、普通に玉を詰んで
勝ちと、お城将棋で掛かる時間は、ほとんど変わらなかったとみ
られる。

 だから、獅子は除外して、ナンバー2の奔王を選んだのだろう。

 では、それは良いとして、ナンバー2と3位以下で、余り差が
無いのにナンバー2にこだわった理由が、やはり問題になる。
 ポイントは、ゲーム性の観点から、それが正しかったからでは
なくて、その100年前迄指され、その後停滞・衰退した、

普通唱導集の大将棋で、ナンバーワンの成り麒麟の獅子が、敵陣
に突入すると”勝ちを取る”という決まり文句が、15世紀にも
生きていた

という点が、ポイントだったのであろう。恐らく、13升目
108枚制普通唱導集大将棋(本ブログ)では、麒麟が成る(出
された)時点で、慣れてくると指し終えたと、私は見る。ようす
るに、この大会規定ルールは、

お城将棋の時間短縮の要素になりそうな、そのような故事前例が、
実際に、それよりも過去に、有ったからこそ、真似る事ができた
という事

なのではないか。普通唱導集大将棋では、大差勝ちとは、大概、
麒麟が先に、右袖横行の前歩兵位置付近に、入り込む事と同義
だったのであろう。つまり、奔王出して勝ちルールは、

さほど、中将棋ゲームの性質を研究した上で、設定されたルール
ではなくて、古の記憶から、当時のお城で指す棋士には、それな
りに、賛成が得られる、故事にちなむルールであると判断して決
めた、対局時間の単なる短縮ルール

なのではないかと、私は考える。つまり、このルールの存在も又、

本ブログの解釈での、普通唱導集時代の大将棋の駒の初期配列、
駒数等に、矛盾がない事を示す一つの状況証拠なのではないか

と、少なくとも本ブログでは捉えるのである。(2019/01/11)

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