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増川宏一氏から、”大局将棋の質問”をした所、返事が来た(長さん)

前に、将棋大橋家古文書の研究でも名高い、遊戯史研究家の、
増川宏一氏に、文書名:大局将棋駒の、構成についての問い合
わせをした旨の紹介をした。
 それに対して、増川氏の返事は、以下のような回答だった。

1.大橋家文書は、現在増川氏にも、見る事ができない。
2.大局将棋は、日本の中世の将棋ではない。近世後期の将棋
である。中世の文献とは、何を調べているのか不明。
3.役に立たない返事ですまない。

折り返しで、また手紙を出しておいた。
 以下に、返信の返信の概要を記す。

大橋文書”大局将棋駒”は、webのキャピタンリバイバル
のページに写真があります。が(右)鳩槃駒の下部に書かれた
文字が小さく、内容が読めません。(ちなみに、(左)鳩盤に、
行き所の印は有るようだが、こっちの下部には、何も書かれて
居無い。)恐らく、これを根拠にした”世界の将棋”ルール
なのだとは思われます。確証を探しています。
 大局将棋で、東夷・西戎・北狄・南蛮駒の成りを、大大将棋
駒で統一しているのは、中将棋の竪行と横行の成りを、飛牛と
奔猪として、それより前の普通唱導集時代の将棋駒類似にして
いる為で、後者に猛牛と嗔猪が有っても、悪狼と猫叉が無い事
を示す、中世の記憶が、近代には無いが、近世にはまだ有ると
いう例だと思います。(尚、猛豹は猛将の洒落で、悪党の洒落
である悪狼命名型であり、結局、悪狼、猫叉、猛豹は、
西暦1300年頃成立の普通唱導集より、10年~50年後の、
建武の新政が、近い頃等の作とみられる。)
 当方は現在、諸説の中間を取った論を、推薦するブログを
立ち上げています。ので将棋史も”中世(性)将棋史家”であ
ると、名乗る事にしました。 長 (以上返信の返信の内容)

残念ながら、増川宏一氏にとって、史家としても、その愛好家
としても、私は遊戯史学会が盛んな頃の波に、乗れなかった。
よってそういう意味で無名の私に対しては、私の質問につき、
答える以前の問題だったようだ。そのため、今回は、門前払い
との結果に終わった。
 なお私は、学校を卒業してから、だいぶん、経つ身だ。だから
この先、増川氏へのコンタクトに関して、再チャレンジの機会
が、あるかどうか謎である。
 この感じからすると、残念ながら、

”お互いに余り、関連性が無いまま両方終わった”

という事に、なる確率が高そうだ。(2019/01/16)

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