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六博の盤の模様を象った古代の国内出土鏡に十二支の文字(長さん)

前世紀の終わりの1995年に京都府、1998年に大阪府
から、古代の、俗に卑弥呼の鏡と言われるものの一種で、
青龍三年方格規矩四神鏡という、裏面に、中国の四神(四獣)
を彫った、鏡が出土している。ゲーム史に関連する内容として
は、中国の古代のゲーム、六博の盤の模様が入っている、日本
出土の古鏡として、日本の考古学会では知られているようだ。
 六博は、盤双六類のゲームとされ、本ブログでは、盤の位置
で、駒の動きが決まるゲームなため、将棋類では無いだろうと
見てきた。中国の考古学では、鏡に六博盤模様が入っているの
は、後に占いに使用され、後に家内安全のマジナイとして機能
した為というのが、定説らしい。
 冒頭で紹介した、国内の出土遺物は、文化庁編、発掘された
日本列島(1995~1999)に、鮮明なカラー写真で紹介
されている。それによると、六博の盤の模様の内側の、正方形
の枠(”方”部分)の直ぐ内部に、少なくとも日本国内出土の、
青龍三年方格規矩四神鏡に2面共に、

子、丑、寅、卯・・の十二支の、動物でない元々の方の文字が、
時計回りに書いてある

との事である。実際写真には、京都出土の鏡、大阪出土の鏡と
もに、西暦235年に書かれたと見られる十二支の文字が、
六博の盤の模様と共にはっきりと私にも読める。また、北東、
南東、南西、北西といった四隅の方向の部分に、青龍、朱雀、
白虎、玄武の姿がある。この事から、
六博の盤は、地上の何らかの地形を、どうやら模したものらし
いと、始めて私には想像がついた。つまり、

六博というゲームも、陰陽五行の論理に則ったものであり、
地理、方位方角や、日月星の運行。季節、暦に関連したもので
あると、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の序文のような内容で、
三国鼎立時代の魏の国から邪馬台国に対して、西暦235年の
弥生時代に情報が送られていた

という事だろう。むろん、六博の盤の模様は、ゲーム盤として
よりも、マジナイ札の模様の意匠イメージが、西暦235年頃
には中国国内では既に、強かったのかもしれないが。鏡を送ら
れた側の日本の王朝内部でも、”元々は、ゲーム盤の模様であ
る”事位は、魏王朝から知らされて、知っていただろうとは考
えられるだろう。
 だから、この出土遺物から言える事は、

”陰陽道や五行、日月星の運行を象った”や、”天文道と関係
する””雅楽の音階にも関係”と言った情報だけでは、将棋で
あるというよりは、中国のゲームであると判るだけ

という事なのではないか。つまり、北周の武帝が、チャトラン
ガが発生した隋の時代より前に、占い天文と関連するゲームを
発明したという情報だけからでは、中国で、何らかのゲームが
発明されたという以上の、情報の中身が実質的に無いという、
日本出土のこれらの鏡は、証拠の一つという事になるのではな
いか。私はこれらの史料を見てからは、そのように考えるよう
になったのである。(2019/01/30)

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