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嗔猪の後退動きは、いつ消失または変化したのか(長さん)

 本ブログでは、西暦1290年の普通唱導集で大将棋が
唄われる直前に、

嗔猪は縦横四方歩みだった

考えている。根拠は本ブログモデルの13升目普通唱導集
大将棋の第2段目に、前後非対称の駒動きルールの駒が、
見当たらないためである。
 他方、現代の後期大将棋のルールは、将棋天国社の世界
の将棋に基づく、wikipediaの情報が普及し、
上記と同じルールと見る傾向が強い。が、嗔猪は、

安土桃山時代成立の水無瀬兼成の将棋纂図部類抄では、
後退する動きを除いた、3方向歩みルールを取る事で有名

だ。事実近年でも、大阪電気通信大学では、3方向歩みの
嗔猪が、最新は違うが、かつては摩訶大将棋のルールとし
て推薦されていたと聞く。
 ここでは、安土桃山時代から現代までの、嗔猪ルールの
変化は、松浦大六氏所蔵の象戯図式の著者等が江戸時代に、
西暦1290年頃の嗔猪ルールを、たまたま、何らかの事
情で、記憶していたためだと推定し、深く議論し無い事に
する。
 すなわち、西暦1290年から西暦1590年までの、

約300年の間で、4方歩みから、後退を除く3方歩みに
どこでどう、切り替わったのか

を今回の論題とする。 
 最初に結論を書いて、ついで説明を加える。今回の結論
は、多少複雑だ。

1)1310年頃に、4方向歩みから3方向歩みに切替え。
2)1360年頃に、3方向歩みから4方向歩みに戻り。
3)1400年過に、4方向歩みから3方向歩みに再切替。

以上のようだと考えられる。
 では、次に内容を説明する。
 嗔猪の後退ルールの件については、中将棋連盟の発行し
た冊子に、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の嗔猪が、後退し
ないルールであると、今世紀初め頃に問題提起されたのが、
研究の黎明期だったと、私は認識する。
 当時、その指摘に対する反応が、有ったとは聞かない。

だから、大将棋は復元するのは難しい

という議論に留まった。先行研究で、私が知るのは以上な
ので、以下には本ブログの見解説明を始める。
まず、1)1320年頃に、4方向歩みから3方向歩みに
切替えの根拠だが、これについては、以前述べた。

普通唱導集の大将棋の唱導唄自体が、チャンギの戦法に、
嗔猪の部分が類似しており、嗔猪をチャンギの卒とみなし
て、後退動きが、唱導集成立の10年程度後に消滅した

というものである。
つまり、
西暦1290年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1320年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は3方歩。

と結論される。
ところで、普通唱導集大将棋で、仲人と嗔猪が腹を合わせ
られるのは、以下のような配列になっており、

嗔猪が竪行の列に居るから

である。
普通唱導集大将棋の右辺(麟鳳は左麒麟と右鳳凰)
5段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口
4段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
3段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
2段目:酔象、麟鳳、猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車

 ところがその前後から、普通唱導集大将棋は定跡の行過
ぎた明確化のため衰退し、しばらくして、中将棋が発生し
て、それに取って代わると共に、15升目の大将棋へ、
進化が始まったと、本ブログでは考えている。今の所、
江戸時代後期の将棋書、中将棋絹篩の中将棋の由緒説明や、
新安沖沈没船出土、15升目将棋盤(?)の史料等は、こ
の本ブログの推定と、矛盾していない。ようするに、
普通唱導集大将棋の猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍配列は、中国
南部の闘獣棋を生んだ文化、すなわち”36禽の獣の列位
を象り”との、虎関師錬の、異制庭訓往来の思想に従って、
鬼門警護型から、獣の列位順に、15升目化に伴い入れ替
えられたとみられる。その結果、以下の15升目4段自陣
型の、中間大将棋が成立したと、本ブログは推定する。

自陣4段中間大将棋の中央から右辺(西暦1360年頃か?)
5段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口、口口
4段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
3段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
2段目:酔象、麟鳳、盲虎、猛豹、悪狼、嗔猪、猛牛、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

 ここで重要なのは、

獣の列位型にしたために、嗔猪が、竪行列から袖に1列移
動して、横行列に変化したと考えられる

と言う事だ。その結果、

後退する動きを削除する理由がはっきりしなくなり、縦横
4方向歩みに一旦戻るようにルール変化する原因が出来た

という点である。

実際、そのような事が起こった

のではないかとの予想から、嗔猪の3方向動きは普通唱導
集大将棋が、実質的に消滅した西暦1350年の10年後、
西暦1360年頃に、キャンセルされたのではないかと思
われる。

西暦1290年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1320年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は3方歩。
西暦1360年:大将棋は4段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。

もう一度書くと、
自陣4段中間大将棋の中央から右辺(西暦1360年頃か?)
5段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口、口口
4段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
3段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
2段目:酔象、麟鳳、盲虎、猛豹、悪狼、嗔猪、猛牛、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車
となり、

そもそも、上記の配列で悪狼の5方向歩み、猛牛の4方向
踊りに挟まれた嗔猪に、3方向歩みに、しなければならな
い理由が無い。4方向歩みの記憶が蘇り、動きの対称性が
増しただろうと考えるのが、むしろ自然なように思える。
 ちなみにこの状態で、自陣5段配列に膨らんだとみる。
獅子があり、獅子に関する特別な規則もある中将棋は、15
升目化が始まる時点で既に有り、大将棋に獅子が加わったの
は、5段目と同時に、当然の如くにと私は見る。
 このとき嗔猪はまだ、竪行ではなくて、横行の列に居た
はずで、状況変化は無い。4方向歩みの中興時代は、しば
らく続いたはずだ。

自陣5段中間大将棋の中央から右辺(西暦1380年頃か?)
6段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口、口口
5段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
4段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
3段目:獅子、麟鳳、口口、口口、悪狼、口口、猛牛、口口
2段目:酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、嗔猪、口口、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

”盲虎波、斤くへ行くが、上わゆけぬ”と、紛失して今は
無い、神奈川県鎌倉市御成町の今小路西鎌倉市福祉センター
遺跡中将棋木札で記載されたのは、はっきりしないがこの
少し前の頃、遊学往来の成立とほぼ同じ、

西暦1370年前後の事、かもしれないと考える。

 この後、悪狼が2升目内側に寄り、猫叉が悪狼位置に、
一旦入りついで猫叉と嗔猪が場所チェンジして後期大将棋
になったと、本ブログでは考えた。

後期大将棋の中央から右辺(西暦1400年頃か?)
6段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口、口口
5段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
4段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
3段目:獅子、麟鳳、悪狼、口口、嗔猪、口口、猛牛、口口
2段目:酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

この時点で、嗔猪が竪行の筋配列が元々だから、やはり、
3方向歩みであるという、記憶の方が、こんどは蘇った
のではなかろうか。すなわち、

西暦1290年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1320年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は3方歩。
西暦1360年:大将棋は4段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1380年:大将棋は5段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1400年:大将棋は後期大将棋。嗔猪は3方歩。

となって、これが曼殊院の将棋図に残ったので水無瀬兼成
は、それを写して、将棋纂図部類抄の嗔猪は3方歩になっ
たのではないか。
 以上は、史料がほとんど無く、仮説提出の初期段階の話
ではある。
 一般に、仮説は、

オッカムのかみそりの原理に従い、知られた事実が少ない
ときには、できるだけ単純な物を、先ずは仮定すべき

だと言われてはいる。その理屈から考えると、行きつ戻り
つの本ブログの独自論は、かなり邪道と取られるかもしれ
ない。そうかもしれないが、

嗔猪が竪行の列に有る時代に、3升目歩みへ移行する作用
を受ける

という点で統一性があり、

見通しの悪い仮説とは特に言えない

のではないかと、私は思う。むろん後期大将棋の嗔猪は、
後退できない悪狼との、横升目のつながりで、後退の動き
が、無くなったという可能性も、否定できないとみるが。
 なお、冒頭の摩訶大将棋のケースは、将棋種が違うが、
根本原理は同じで、嗔猪は相手右角筋に対して、後期大将
棋、普通唱導集大将棋(本ブログ13升目108枚制)の、
横行格の駒、横飛列に居るので、現行は4方向歩み復活で
ある。
 よって暫定的に、本ブログとしては、以上の見解を取る。

2017年型の普通唱導集大将棋の後継では、問題なけれ
ば西暦1290年ルールに準拠する

という理由で、
西暦1260年:大将棋はプレ普通唱導集大将棋嗔猪発生。
西暦1290年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1320年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は3方歩。
西暦1360年:大将棋は4段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1380年:大将棋は5段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1400年:大将棋は後期大将棋。嗔猪は3方歩。
西暦1590年:大将棋は後期大将棋。嗔猪は3方歩。
江戸時代:大将棋は中将棋成り後期大将棋。嗔猪は4方歩。
西暦2017年:大将棋は改善普通唱導集大将棋型が良い。

嗔猪は無い。が将来、何らかの事情で作ったとして4方歩。

但し、
13升改善普通唱導集大将棋の右辺(麟鳳は左麒麟右鳳凰)
5段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口
4段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
3段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、飛龍、飛車
2段目:酔象、麟鳳、猛虎、横行、方行、猛牛、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
同成りの右辺(獅奔は、左獅子と右奔王):
5段目:口口、口口、口口、金将、口口、口口、口口
4段目:金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将
3段目:不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成
2段目:太子、獅奔、不成、不成、不成、不成、金将
1段目:玉将、不成、金将、金将、金将、金将、金将
(仲人、歩兵は金将成り。1段目玉将、金将以外金将へ成。)
となっているを、本ブログでは提案したい。(2019/02/08)

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