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古代中国の17路囲碁盤には聖目が無いようだ(長さん)

以前本ブログでは、将棋の聖目は、古代中国の17路の囲碁盤
に、5・4・4と、9つの星が付いていたのが起源ではないか
との旨、述べた事があった。しかし、

どうも、これは間違いだった

らしい。中国の古代の囲碁盤について、17路のものを書いた
絵画が、ウイグル自治区のトルファンのアスターナ古墳で発見
され、その囲碁盤には、

聖目(星)が書いていない

ように見えるためである。
 絵画は、日本の江戸時代の浮世絵に、似たような構図のもの
があるが、美人が一人で、囲碁を研究しているようなものであ
る。”仕女奕棋図”とか”囲碁仕女図”とか、言われている
らしい。唐代のシルクロード沿いの節度使が、トルファンを
支配した時代のもので、日本で言うと、飛鳥時代の末期から、
奈良時代に掛けて、7世紀から8世紀頃の絵画らしい。
 絵の全体の特徴は、美人が日本の正倉院の鳥毛立女屏風に
似ている点が特に、今の美術史では著名らしい。成書では、
”正倉院への道”米田雄介ら、雄山閣出版、1999年等にも
2箇所で重複して紹介がある。我々にとっては、碁盤・遊戯盤
が、どう書いてあるかの方が、美人の姿よりも肝心だが。
 そこで、囲碁盤だが、列が16路、段が17段のように見え
る。脚は正倉院の宝物の、囲碁盤と同じく古代の床脚である。

仕女奕棋図.gif

碁石が書いてあるので、判断が難しいが、聖目が書いてあるよ
うな形跡は無い。

列の路が1筋少ないが、17路盤を書こうとしたと、一応推定
できる。しかし、升目として見方を変えて、

升目を4つづつ、4つのグループに区分けするような、聖目を
書いたとの、証拠は、少なくともこの絵からは、見出せない。

 前の議論は、新安沖沈没船出土将棋盤(?)の、升目が15
の盤で、後期大将棋の将棋盤風に、升目群を5升目ごとに、
3区分しているように見えたため、その以前に中国に、古代の
囲碁盤の路を、17路であるから16升目と見方を変えて、
4升目で塊を作って、4つで16になるように、聖目が書いて
あるものがあって、それがデザインの元かと、私が思ったと、
言うものであった。しかし実際に、17路囲碁盤ではないかと
思われる、中国系の古代”囲碁仕女図”の盤を見てみると、

そうでは無いとする、史料が、少なくとも1つは有る事を示す

ようである。
 東福寺難破船(新安沖沈没船)が、大陸との間を往来してい
た船であるため、15升目将棋盤(?)が、大陸文化の伝来物
のようなイメージがあったのだが。そう決め付けるのは、間違
いだった可能性も、有るようだ。
 更に、調べてみようとは思うが、

日本の将棋盤の聖目のパターンは、もともと国内起源である事
も、視野に入れる必要が、ひょっとすると有るのかもしれない

と見られるようになったようである。(2019/03/07)

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