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作者が同じでも、情景の差で碁盤の脚が違う例(長さん)

前に、狩野派、狩野元信の厩馬屏風と、狩野永徳
の聚光院方丈壁画とで、同じ狩野派の絵でも、
日本人の棋士の指す碁盤の足は蓮座、
中国人の棋士の指す碁盤は足無しで台座
になっていると述べた。
 しかし、厩馬屏風と聚光院方丈壁画とでは、絵
の作者は同じ血筋らしいが、全く同一人物では無
かった。
 東京文化財研究所の、江村知子氏によれば、
近世の画家、土佐光吉の絵は、囲碁盤について、
路線の書き方と、

碁盤の足の描き方で、作者が特定される

と、日本の美術543”土佐光吉と近世やまと絵
の系譜”(2011)㈱ぎょうせいで、述べてい
る。足の形が蓮座なのは、日本人が棋士なら大概
そうだと、私は思うのだが。世俗の将棋史愛好家
と、文化財研究所の専門家とでは、美術品に関し
て後者の言う事の方が、通りやすいだろうから、
この状況で、

本ブログの主張は通りにくい

だろう。そこで今回は、私のような素人に判る
範囲内でだが、

厩馬屏風の狩野元信の絵で、情景の異なる、囲碁
盤の図を探してみた。下の図のように群仙図屏風
(伝)元信作というのが、確認されているそうだ。

群仙図屏風.gif

この絵の囲碁盤も、指しているのが中国人の仙人
という設定のようなので、聚光院方丈壁画の碁盤
と同様、足が無く、何らかの台の上に乗っている
ように、書かれている。盤線のパターンは、私に
は確認できて居無い。
 ただし、文献として、同じく㈱ぎょうせいの、
日本の美術485”初期狩野派-正信・元信”
(2006)によると、

厩馬屏風、群仙図屏風は両方とも、狩野元信の作
では無いと、京都国立博物館の山本英男氏が指摘

しているようである。どちらも(伝)のように表
現するのが、この領域では通例らしい。であるが、
美術史専門家の大勢が、事実をどう見ているのか
は、私には良く判らない。御存知の方があれば、
御教示願いたいところである。何れにしても、

別々の絵の作者が同じでも、中国風か日本風かで、
囲碁盤の足の描き方が違うケースがある、疑い自
体が残っている事だけは、どうも確か

なようだと私は見る。(2019/03/18)

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