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摩訶大将棋展2019winterのweb情報(長さん)

一ヶ月以上前の、2019年2月3日頃の話であるが、
大阪電気通信大学の高見研究室が、大阪駅付近で、
表題のイベントをしていた。株式会社いつつという、
兵庫県の会社が運営するサイトに、訪問者の報告が
載っていた。高見友幸氏が、パネルディスカッション
をした論題が、入り口の看板として掲示されていて、
その写真が、最初の方に有る。なお看板は2枚、写真
に写っているが、今問題にしているのは、右側だけだ。
今回注目するのは結論から書くと12項目あるうちの

第11番の内容

である。では説明を続ける。
 問題の看板については、株式会社いつつで検索する
と”いつつブログ/株式会社いつつ”に、しばらくは、
トップで出てくるだろう。写真の看板の論題11番の
題字は、残念ながら

net上で、たまたま内容が正確には読み取れない。

”古代日本の将棋の盤(か書)について”と書いてある

のかもれない。が内容は仮に、盤と読むとすれば、

将棋史家が誰も知らず、又言及すべき事実が皆無な事

が定説であるように、私には見える。

桂馬の桂と、香車の香がヒントだというのは、本ブロ
グの中だけの話

だ。なお、現物が明らかな日本の将棋盤で一番古いの
は、14世紀の新安沖沈没船将棋盤(?)を、15升
の後期大将棋の将棋盤と見て中世だ。文献でも、
藤原定家の明月記の”三面の記載”は、鎌倉時代早期
に入ると思う。平安時代の史料は、全く無いはずだが。
 ちなみに本ブログでは、

皇族用以外、定常的で長期保管に耐える将棋盤は、
上代にはほとんど作成されなかった

とみる。8×8型と9×9型が日本では並存していた
のが、主な原因のはずだ。
 なお高見研究室のイベントに関する報告者は、
株式会社いつつの金本奈絵(Nae Kanamoto)
さんと名乗られている。
写真の撮影者も、多分同一人物だろう。話をほぼ聞き
取られたように、本文からは読み取れた。

第11番の内容は、どれなのかは書かれていなかった。

たぶん基本的に、内容は高見友幸氏しか知らない話

を話されたのは確かなように、私には推定されるが。

ただし”将棋の口”の口の字がはっきり見えず不確実

な推定ではある。㈱いつつさんのブログでは、話全体
の内容について、いちいち”番号でこれだ”とまでは、
特に言及されておらず、そのため仔細不明だった。
 他の11の項目については、摩訶大将棋のブログに、
だいたい書いてあると見ているのに、古代の将棋盤の
話(?)だけ不明な内容なようだ。なので全体として
は、情報の提供は、たいへんありがたいものの、
たまたまだろうが、ごく一部についてだけ謎の有る、
残念な、報告文になってしまっているように、個人的
に、私には感じられた。(2019/03/20)

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df233285

この記事記入の少し前、摩訶大将棋のブログ更新(長さん)

番号で263)の記事が加わりました。
上記、高見研究室のブログを至急確認、お願いします。(3/20)
https://www.takami-lab.jp/摩訶大将棋のブログ-04/
by df233285 (2019-03-20 07:02) 

monozuki

いつも興味深く拝見しております。一言将棋盤の文献記事について申し上げますと、将棋盤に言及した記事で最も古いのは、『兵範記』の裏文書の「諸雑具目録」(平安遺文3279)に、碁盤二面と並んで「将基局一面在馬」という記載がありますね。兵範記は陽明文庫所蔵で、その仁安4年(1169)夏の巻の裏にこの目録があります。目録の方にも長寛2年(1164)5月8日の日付があり、大法師と下野権守の署名があります。増川宏一氏は「寺院の備品目録」としております(『将棋の歴史』41頁)。
あともう一つ。東博本の厩図屏風の作者についてですが、作者は狩野元信周辺ということで、諸説あるようですが、有力な説に、元信の子息または孫ではないかという説があります。『室町時代の狩野派』(中央公論美術出版、1999年)が参考になりました。

by monozuki (2019-03-20 10:58) 

df233285

そうですね。忘れていました(長さん)

そうですね。寺の備品記録について御指摘の通り平安時代です。
by df233285 (2019-03-20 13:41) 

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