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藤原明衡著作の新猿楽記十一の君の将棋の棋は基(長さん)

松岡信行氏の解明:将棋伝来の「謎」(2014)
の一覧表に準拠して、本ブログでは、表題の、
新猿楽記の十一の君の将棋の棋は、石が底に有る、
碁と、これまで指摘してきた。しかし、

残念だが、これは間違いで”基”である

らしい。私が気がついたのは、㈱新人物往来社の、
西暦1995年の図書、窪寺絋一著
”日本将棋集成”の記載だった。調べてみると、
新猿楽記自体が、

藤原明衡作かどうかも疑わしいというニュアンス

の内容を、増川宏一氏が、平凡社新書(670)
の”将棋の歴史”2013年で、更に匂わせてい
た。別の所で事情を調べてみると、作者の書いた
藤原明衡の役職に、藤原明衡自身が付いた記録が
無いらしい。遺贈された職階を、実際の作者が、
書いて、藤原明衡を立てているという、ニセモノ
を自分で匂わせているという雰囲気だ。ちなみに

新猿楽記の成立は、藤原明衡が西暦1066年頃
他界してから、少し後の11世紀末

との旨を、増川氏は将棋の歴史に書いている。
 では、以下に詳しく述べる。
 大阪電気通信大学の高見友幸氏により、以前に、
易占いと摩訶大将棋(2015頃)という論文が
出され、その中で、川口久雄(訳注)、新猿楽記
(東洋文庫424)、平凡社、1983年の、
十一の君が、引用されている。川口久雄氏の解説
によると、

将棋の棋は基と書かれ、文献により差は無く、川
口氏により、”棊と書くべき所を、間違えたか?”

との旨コメントが付けられている。十一の君の
能力に関して弾碁の方は、弾碁と書いてある元本
も有れば、弾基と書いてある元本も有るようだが、

将棋の方は”将基”だけ

らしい。たぶんだが、解明将棋伝来の「謎」の、
表3を作表するとき、松岡氏が見間違えたのだろ
うと、私は思う。
 よって、

”藤原氏なら、将棋の棋は碁に限られる”という、
本ブログの説は、残念ながら怪しくなった。

残る可能性は、増川宏一氏の言う事から察して、

新猿楽記は、藤原明衡が関与しているにしても、
死後に、何処かの知り合いの坊さんが書写しなが
ら加筆、編筆して完成させた

とでも、考えなければ駄目だろう。
 つまり藤原明衡は、将碁と書いたが、新猿楽記
を完成させた坊さんは、碁の使い方が誤まりで、
弾碁を弾基と書く事が有り得る点から見ても、
将基が正しい(?)と見ていたと、言う事なのか
もしれないと、考えるという意味である。かなり
苦しいだろうが。
 よって負け惜しみだが、
”新猿楽記にはたった一言、将棋としか書いて居
無い”と、学会では軽視されていたが、将棋の棋
を、基礎の基で書くのは、僧侶関係と、少なくと
も本ブログでは見ているので、

本ブログが、興福寺出土駒期間の将棋の流行の
傾向について、始めて、お寺でだけ流行っていた
疑いがある事が指摘できた

と、今回の成果(?)を、強弁して見せる事位が、
今の所、できる事の全てと、いった結果になった
ように思う。なお繰り返すと、将棋で良く使われ
た字は、当時は、将棊(下は土でなくて木)であっ
たはずである。(2019/03/22)

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