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摩訶大将棋は序盤戦術で交点駒置17段に御利益無し(長さん)

前に、高見友幸氏の提案する19筋16段摩訶大大将棋
または、摩訶大将棋に関して、交点駒置きで、京都の
条理モデルでは、17段になってしまうと述べた。
 一条大路に新・旧があって、旧の時代から摩訶大将棋
が有ったと、高見氏は当然考えているので、18升目の
矛盾を避けるために、19路にした結果、段が16升目
から17路に、彼が実際に推薦している将棋の話と違っ
て、1路段が余計に増えた、

別のゲームになってしまった

という意味だと、個人的には理解している。
 では、ようするに

”土御門大路は、平安時代が始まった頃には無かった”
という古代史研究者の説は、高見氏が引用している

ように本当であって、摩訶大大将棋または摩訶大将棋の
段を16段から17段にする事によって、ゲーム性能の
点からも改善されて、その結果、
土御門大路は、平安時代初期には無かったという説が、

まさに今証明されようとしているという事なのだろうか、

というのが、今回の論題である。回答を先に書く。

ゲーム性能は改善され無い。

理由は17段の摩訶大大将棋または摩訶大将棋が、16
段のそれに比べて、序盤の駒の捌きで、ありありと、ゲー
ム性能が上がるという事は無いからだと、本ブログでは
考える。

つまり、本ブログでは、古代史研究家の瀧浪貞子氏の、
1991年の説に、少なくとも絶対の信頼を、置くわけ
にはいかない

と言う意味である。
 では、以下に説明する。
この将棋の序盤戦術は、
横飛の前の升目の歩兵が離れているのを、獅子で狙うた
めに、奔王や摩羯や龍王を浮かしておいて、獅子を出す
という手は、桂馬が桂馬跳びが正しいとして、一応無し
にするとすると、

角行または左車か右車で、それより強い、鉤行、摩羯、
奔王、龍王、龍馬のどれかに、睨みを利かせるのが、
第1手目の善手である事は明らか

である。睨みを利かせるには、相手の強い駒に、より弱
い角行か左車か右車の、斜め筋が通っているかどうかで、
それが実際に、可能かどうかは決まる。つまり、

段が16から19段までで、どうなのかで、条件が変化

する。ところで、ゲーム性能としては、

このような、自明善手が、初期配列に関して、バレバレ
なのは良いゲームとは言えない。

だから、何らかの手段で、初期配列を工夫して、角行筋
または左車筋、右車筋は、摩訶大大将棋または、
摩訶大将棋では、

通りにくいようにした方が、良いゲーム

である。できれば、

左車や右車で、龍王か龍馬かが狙える程度の配列になっ
ていた方が良い。

そのためには、角行筋が、仲人に当たるように、大将棋
系ゲームでは、工夫されるのが普通である。そうなって
いるのは、

19×19の盤となる摩訶大大将棋だけ

である。つまり、

16段から22段の摩訶大将棋等の中で、比較的旨く
出来ているのは、19段の場合だけ

だと、本ブログの管理人は認識している。
 以上の事を、少し詳しく以下に、書いてみよう。
 16段目から22段目までで、どちらか一方の角行と、
判りやすく、どちらでも良いのだが左車について、各段
のアタリ関係を、示すと次のようになっている。角行は、
左右どちらでもこのケースは、全く同じだし、右車は、
鉤行と摩羯へのアタリのパターンが、反対になるだけで
ある。

左角行について。
16段なら左龍馬。
17段なら左角行。
18段なら左仲人下歩兵。
19段なら左仲人。向こう横飛。
20段なら左横行。
21段なら左車。
22段なら左飛車。

左車について。
16段なら鉤行。
17段なら奔王。
18段なら摩羯。
19段なら左龍王。
20段なら左龍馬。
21段なら左角行。
22段なら左仲人下歩兵。

以上の事から、

左右の角行については、18、19、21段のとき良い
ゲーム、
たとえば左と右の車で左車については、19、20、
21、22段のとき、まあ、我慢できるゲーム

になっている事が判る。つまり、まとめると、19段と
21段の摩訶大大将棋または、摩訶大将棋以外は、斜め
走り駒の、出だし序盤の利きが強すぎて、

さほど良いゲームにはならない

事が判る。つまり、

16段の京都の条理モデル升目将棋も、17段の京都の
条理交点置き将棋も、どっこいどっこいだと見られる

という事である。17段のケースも、左車と右車で、
奔王の睨みが利いている初期配列は、余り気持ちの良い
形とは言えない。つまり、平安時代初期には

”土御門大路は無かった。なるほどそれで、17段にす
ると、ゲームが大きく改善される理由が、ようやく判明
した。19×16では、物足りなかったのはそのためか。
かくて、交点置きに、利点が有る事が判ったのであった。”

という

ストーリーには、全くならないと言う事

である。だから、土御門大路が旧一条大路だったという
説が、正しいという考えを前提にしたうえで、交点置き
摩訶大将棋(交点置き摩訶大大将棋)の別存在を主張し、
16と17とを両方立てている、高見友幸氏の主張に、
序盤のゲーム性能の改善という観点から見ても、

私は特に、意味が有るようには見えない。

19×16の将棋だけを、集中して宣伝するように、今
後、論を整備した方が普及戦略上、より得策なのではな
いかと、疑われる。
以上のような、結論になるという事である。(2019/03/25)

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