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二巻物色葉字類抄の大将基・小将碁は1550年頃か(長さん)

今回は、前に紹介した、尊経閣文庫蔵の二巻物(西暦
1565年書写)色葉字類抄の大将基と小将碁について、
最も大切な、成立年代を推定する。結論から述べると、

冊子に編集したときしか、大将基と小将碁の内容を差し
込めないと仮定すると、巻物の時代から、冊子へ変わる、
書写の頃に作られた大将基と小将碁の、後追加物としか
説明できない。

以上について、以下に説明を加える。
 まず、色葉字類抄は、

漢字がイロハニホヘト・・の特定の物が、集められてい
るが、二巻物で問題の、・大将基馬名と、・小将碁馬名
の所の駒の漢字については、全くそうなっていない。

 駒名は、本来なら”:人事等”の分類の所に、歩兵
ならホ、玉将ならキというふうにバラバラに分けて、
書いてないと、この本では明らかにおかしい。

だから、2巻物が成立した西暦1140年頃から見ると、

大きく後代になって、全く別の人間が作成して、差し込
んだ物

だと、私は考える。
 マトメテあるからこそ、将棋駒種がそれぞれ判るので
はないかという批判が出るかもしれないが、色葉字類抄
では、

左下にそれぞれ、”将碁駒”とでも、小さく書いておけ
ば良かっただけ

なのではないか。
 わざわざほかのカナの所には無い、・大将基馬名と、
・小将碁馬名という、項目名を作ってまとめたのは、
将棋駒の字を、引きやすくしたからであるのは、判るが、
西暦1140年に、そうしたければ、イロハ順の辞書
にしないで、たとえば用途別に漢字を並べるとか、別の
配列の辞典に、創始者がすればよかっただけなように、
私には思える。つまり大将基等が、色葉字類抄自体を作
成した、橘忠兼の著作物というのは、いかにもおかしい。
 なお、・大将基馬名と、・小将碁馬名が、別文書の
差込と疑う根拠としては、フォーマットが似ているも
のの、
朱色の点が、少なくとも三巻物の色葉字類抄と見られる、
国会図書館デジタルコレクションの色葉字類抄:尊経閣
叢刊丙寅本で見る限り、

・大将基馬名と、・小将碁馬名に関して、先頭の朱色点
が、”:”と、2つ点になっていないといけないのに、
そうなって居無いで”・”と1つ点だけになっている

事が上げられる。つまり、分類名と、個別熟語の頭に
付けられた朱色の印に、差が無いのは

本物の、本文中の表現とは、違っていて不自然

だと言う事である。
 その他、駒名漢字毎に、・大将基馬名と、・小将碁馬
名では、朱色点(”・”)が付いているが、盤の段の最
初の駒に限定されるという程度に、”本物の本文”では、
跳びとびに付くような、朱点付与システムになっている
ように私は思う。ただしこれについては、書写者が、
1熟語づつ丁寧に、チェックしたという、印なだけなの
かもしれないが。
 そこで、・大将基馬名と、・小将碁馬名は、元々の
色葉字類抄の本文とは別人の作成による、フォントの
大きさや字体、フォームを色葉字類抄に似せたが、完全
には本物とは、一緒になって居無い差込部分だとして、
問題は、その差込文書を作ったのが

何時のなのか

だ。
 私は、物理的に

巻物等の時代に、2ページ差込をするのは、困難

なのではないかと疑う。二巻物尊経閣文庫蔵色葉字類抄
として冊子にするときに、入れ込んだのではないのだろ
うか。そうだとすると、成立は戦国時代の

西暦1565年

も、一応有力なのではないかと、疑っている。
 字体をよく見ると、・大将基馬名と、・小将碁馬名が
極めて古いというわけでは無さそうだと、次の点から
言える。
①猫叉が猫刃になっている。送り狼や山犬から、江戸時
代の、尻尾が2又に裂けた妖怪に変化しつつある時代で、
それと区別するために、猫刃という駒を誰かが考えてく
れた結果の、近世に近い時代成立の駒名なのではないか。
②小将棋の棋が、碁になっているのは藤原氏を、やはり
連想させる。が玉駒が、玉将ではなくて、王将になって
おり、院政型である。戦国時代になり、皇室が五摂家の
家系が絶えないように、姻戚関係を結ぶようになって
一つに溶け込み、文化が混ざってしまった、皇族貴族の
多難な時代に作られた、差込部分との事のように見える。
③”・小将碁馬名”の小将碁に酔象が無い。後奈良天皇
が、小将棋から、酔象を取り除いた年代よりも、少し後
だと考えると合うように思う。
 以上3点が、後期大将棋と飛車角を含む小将棋の記載
が何時有ったのかという、大問題に対して独立性の高い
根拠と考える。
 むろん、西暦1550年頃の将棋を反映しているとい
う仮説を、今述べたように立てれば飛車と角行が有って

日本将棋らしきものが、小将棋として書いて有る事とは
一応矛盾しないし

し、大将棋が後期大将棋のようになっているのは、全く
よく一致して、矛盾は起こらないはずである。
 ただし巻物等だと、別の文書の差込は絶対に無理かと
言うと、証明は困難だ。だから今の所、以上の成立年代
論のエラーバーは、
西暦1150年から1690年の間のどこかではあろう
が、西暦1550年付近も有力な所という

不確定性の大きな状況

だと私も思う。つまり、

日本将棋の出現には早すぎるし、後期大将棋の出現にも
早すぎる成立年代説を、完全には否定し得無い

という事ではあろう。(2019/03/28)

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