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尊経閣文庫蔵二巻物色葉字類抄の写者雪竹老人は何者か(長さん)

表題本の4冊/4の奥書にも書いてあるし、八木書店
(2000年発行)本の”解説”にも出ているが、
江戸時代の加賀前田藩の文庫、尊経閣文庫の、西暦
1565年写書、二巻物色葉字類抄の写書者は、
”雪竹老人”となっている。
 本ブログでは、少なくとも、巻上の上の奥書の後に、
大将基馬名、小将碁馬名という表題で記載された
内容である、後期大将棋と日本将棋の駒記載部分の
執筆者として、西暦1565年時点の、”雪竹老人”
を疑っている。そこで今回は、

”雪竹老人”の正体について何者かを、論題とする。

回答を書いて、後で説明する。
 甘露寺家の系統で東寺の大僧上、

覚勝院了淳のような人物が疑われる。

では、さっそく以下に説明を加える。
 重要な事柄から順に書くと、

在来仏教は、禅宗と中世にも親和性が高く、在来仏教の
僧が、京都でも禅宗の寺と、頻繁に交流していたと、少
なくとも私は考える。

 すなわち、雪竹老人という、写書者の”ペンネーム”
とみられるものは、老人が”書家”である事を示してい
ると、私は考えるが、雪竹とは雪竹図の事であり、禅宗
僧の中世画家の画題であって、禅僧を連想させる熟語だ
と思う。なお、今問題にしている二巻物の前田家古文書、
尊経閣文庫蔵二巻物色葉字類抄の、第4冊/4冊奥書の
少し前には、禅僧耆旧という項目が、挿入されていて、
この項目は、写書者が雪竹老人であっても、執筆者は、
別のようにも見えるが、全体として、この書の写書者に
関して雰囲気を、かもし出す内容のようにも見える。

つまり水墨画家で禅僧また画僧の「雪舟」「雪村」の類

だと、自分を紹介しているのだろう。
 禅宗に詳しく、日本将棋の玉駒は、王将と書く人物。
しかも小将棋は”小将碁”と書く人物だと言う事になる。
 また将棋駒の字の確認を、頻繁にする人物が身内に存
在するらしく、成りは”裏”と表現する人物だと言う事
である。
 将棋の好きな甘露寺親長の子の覚勝院了淳は、西暦
1524年時点で在命である事が、三条西実隆の日記か
ら明らかである事が、増川宏一氏の(2013)将棋の
歴史、㈱平凡社等から判る。が、西暦1565年に存命
だったかどうか、までは私には判らない。
 何れにしても、

前田本二巻物、西暦1565年尊経閣文庫蔵色葉字類抄
の写書者として、覚勝院了淳はぴったり来る人物の一人

のように、私には思える。
 なお、八木書店出版(2000)の、色葉字類抄
ニの解説部には、”1565年の色葉字類抄ニ巻物、
前田家の文庫、尊経閣文庫の写書者は、雪竹老人である”
としか書いてない。
 この文を書いている時点で、問題の戦国時代の写書者
についての学説を、私は調査していないが。定説が有る
としたら、この八木書店から近年になって出版された本
に、はっきりと書いて有りそうな気がする。つまり、
定説では、色葉字類抄2巻物の西暦1565年写書者の
雪竹老人とは、謎の人物の事なのであろう。(2010/04/02)

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