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色葉字類抄、雪竹老人写書本。将棋駒追加以外での改竄(長さん)

前に述べたように、尊経閣善本影印集成19、色葉字類抄
ニ・二巻本、前田育徳会尊経閣文庫編、八木書店2000
年発行には、形式の問題なので、セクション名や記載箇所
は除いて、書いてある中身だけ書くと、ようするに、

日本将棋に、王将、金将、銀将(金成り)、桂馬、
香車(今金成り)、飛車、角行、歩兵が有る事。
中将棋に、玉将、金将(飛車成り)、銀将(竪行成り)、
銅将(横行成り)、香車(白駒成り)が有る事。
後期大将棋に、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、
桂馬、香車(金成り)、酔象(太子成り)、盲虎、
猛豹、猫刃、反車(金成り)、師子、麒麟(師子成り)、
鳳凰(奔王成り)、悪狼、嗔狼、猛牛(金成り)、奔王、
龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車(金成り)
歩兵、仲人(金成り)があるという情報が、加わっている

という意味で、”増補”されているという事だった。
 今回は、加筆部”著者”とみられる、西暦1565年写
書者の雪竹老人が、

その他に、色葉字類抄の2巻本を、4冊化写書をしたとき、
何か”増補”や”手直し”していないかどうかについて、
ここでは議論

する。
 回答を書いて、その後で説明を加える。

している。”く”の動物の鯨鯢の、国語辞典としての意味
説明の内容を、原本から、鯨が雄と、平安時代から考えら
れていたかのように、手直しした

と、本ブログでは疑う。
 では、以下に説明を加える。
 鎌倉時代初期に完成されたと言われる、十巻物の伊呂波
字類抄によると、
鯨鯢の国語辞書としての、伊呂波字類抄の説明は、読みは
単なる”くじら”で、意味は”魚の王様”である。その次
ぎに書いてある句の意味は、私には良く判らないが、鯨の
性別については、記載していないと考える。そして雪竹老
人の所持していた、元本も、おそらく十巻物と同じような、
語句説明だった疑いがある。それを、二巻物を写書して、
4冊物の色葉字類抄ニ・二巻本、前田育徳会尊経閣文庫編、
(後に八木書店が、復刻版を西暦2000年に出版)にし
たときに、

雄鯨である鯨という字と、雌鯨である鯢という字を合わせ
て、夫婦鯨という熟語が形成されたという説明にした

と考えられる。しかし、実際には、平安時代の
二巻物が完成したときに、鯢には雌鯨の意味は有ったが、

鯨に雄であるという性別があったと言う話は無く、これに
関しては、戦国時代の雪竹老人のでっち上げ

で、多分に御ふざけ的な寓話と、関連する疑いがあると思
われるフシがあると私は考える。
 つまり、

鯨という字に性別があるという話が、平安時代にあるとい
う本当の証拠は無いのではないか

と、私は疑っているという事である。尚念のため付け加え
ると、3巻本の色葉字類抄の”く”部は、消失部分である。
 では何故、このようなでっち上げの話を、捏造しなけれ
ばならなかったのかと言うと、

戦国時代には、鯨一文字で鯨を表していて、平安末期の
ように、時鳥でホトトギス、蝙蝠でこうもりと言うように、
鯨鯢でクジラとは、読まなくなっていた

からではないかと考える。しかしその程度なら、実際に
鯨鯢の所に、雪竹老人4冊写書本では書かれているように、
雄鯨雌鯢と、国語辞書的語句説明などせずに、元のままで
放置して置くか、十巻本と本来同一主旨だった、原本の
国語辞書的説明を、

削除する程度でも良かった

はずだ。ところがそうしなかったのは、

鯨鯢が当時主流の中将棋の将棋駒で使われており、中将棋
の棋士内で、”鯨鯢で、鯨の一種を表してはいるが、鯢は
雌のようだが、修飾詞で戦力ダウンになるというイメージ
の鯢をつけて、2文字化したのは何故なのか”という議論
が、戦国時代に有った為

とみる。
 中将棋に肩入れしていたのであろう。雪竹老人は、矛盾
を避けるために”禅寺では南北朝時代から言われているよ
うに”と、前置きした上で、

”鯨は雄と(勝手に)解釈する。2頭で力を合わせるから、
単なる鯨駒よりは、反車の成りとして、強大な力を持つよ
うになったのだ”

とか何とかいうような話を、将棋の仲間にして、落語の、
長屋の御隠居様話ではないが、将棋仲間の喝采を、浴びた
のであろう。それで

気を良くして、色葉字類抄2巻本を写書したときに、その
話を、鯨鯢にうっかり入れてしまった

のではあるまいか。元々中将棋の成りを決めたデザイナー
は、

鯨鯢と2文字で、中国語の”keigei”の和訳で
”クジラ”と読んていた、だけの程度だった

のであろう。所が、時代が室町時代、戦国時代と移るにつ
れ、鯨という字一つで、”クジラ”と読むように、日本語
が変わった。そのため中将棋棋士の間だけで、”へんだね”
と、小さな世界の中だけで、際立って問題になっただけ、
だったのではないのか。
 そもそも、本当に、
色葉字類抄二巻物の写書本以外に、鯨が雄だと書いてある、
日本の中世の史料が確実にあるのかどうか。”唐韻に書い
てあった”という話を私も知っているが、そもそもそれは
信用できる情報なのかどうかを、国語の研究者に聞いてみ
たいものだ。雪竹老人が真犯人とまでは、断定できないに
しても、日本の南北朝時代の、禅寺で作成した日本人の
漢詩に、鯨は雄の話が、始めて出てくる程度の疑いが、
諸橋徹次の大漢和辞典の鯨の、

雄だという説明の出典は”疏”だ

という記載から、私にはする。
 だからようするに、
尊経閣善本影印集成19、色葉字類抄ニ・二巻本(156
5年写書)、前田育徳会尊経閣文庫編、八木書店2000
年発行の、たとえば西暦1565年本の写書者が、

中将棋に興味が薄ければ、鯨鯢の改竄の可能性が薄くなる

と、私は推定もする。つまり、将棋史と国語の研究とが、
尊経閣善本影印集成19、色葉字類抄ニ・二巻本(156
5年書写)、前田育徳会尊経閣文庫編、八木書店2000
年発行の、西暦1565年写書本で、

今の所私が見た限り鯨鯢だけのようだが、とにかく接点を
持つようになった

という事を、これは意味しているのではないか。
知りえる範囲で調べた所では、以上のように、私には推定
できる、という事である。(2019/04/06)

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