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色葉字類抄で大将基・小将碁馬名追加を雪竹老人は自認(長さん)

八木書店が西暦2000年に発行した、古文書の
復刻本、尊経閣善本影印集成19色葉字類抄ニ
(二巻本)前田育徳会尊経閣文庫編は、西暦
1565年に雪竹老人が、3人目の写書を行った
後に、江戸時代の西暦1715年頃に加賀前田藩
が購入し、文庫に保管した本である。これには、
イロハ順の漢字の形態辞典としての主な部分の
ほかに、5ユニットの、付属文書が追加付与され
ている。
付録①:大将基馬名(後期大将棋)
付録②:小将碁馬名(日本将棋)
付録③:「牧」(甲斐・武蔵・上野各国の牧場名)
付録④:禅僧耆旧(禅寺僧の役職一覧)
付録⑤:異字(集)
 ここでは、色葉字類抄が「橘先生」によって、
西暦1144年から1164年にかけて成立した
ときに、付録①及び、付録②が付与されたのでも
無ければ、仮にA氏、B氏と名付けた、雪竹老人
より前の、2回の写書者が、作成した物でもない
と、当の
雪竹老人(記号では以下、C氏と示す事がある)
が、自身が編集した、尊経閣善本影印集成19
色葉字類抄ニ(二巻本)前田育徳会尊経閣文庫編
そのものの、

編者の構成自体で、はっきり示している

という点について、以下に述べる。
 なお、結論を述べる前に、A氏とB氏とC氏が、
この書の写書をした、年を記す。次の通り。
西暦1164年(長寛2):原本成立:橘先生著。
西暦1315年(正和4):1回目写書:A氏
西暦1423年(応永30):2回目写書:B氏
西暦1565年(永禄8):3回目写書:雪竹老
 結論から述べる。
A氏、B氏、雪竹老人、書の推薦者の「あとがき」の、
以上4つの項目の後それぞれに、書いた人間毎の
付属文書が、必ず来るように、C氏とイコールで
ある雪竹老人が、代表して最後に、この古文書の
構成を決めた。そのため尊経閣善本影印集成19
色葉字類抄ニ(二巻本)前田育徳会尊経閣文庫編
では、

付録④がA氏著作、
付録③がB氏著作、
付録①と②がC氏(=雪竹老人)自身の著作。
以上であると、読者にも判るようになっている。

なお付録⑤についてだけは、誰が書いたのかとい
う事が、問題にならないような、内容なので、
書の推薦者の「あとがき」の後に、”推敲した”
という朱色点印を入れないで、散漫に字群が記し
てある。字体から本が出来た後、付録⑤異字一覧
は、C氏である雪竹老人が、書いたのかもしれな
いと見られる。
 では以上の結論について、以下に補足説明する。
 4冊本のオモテ表紙、第字や前書きや本文は、
議論と関係ないので、以下は本文より後の、奥書
の内容だけ書き出す。
 なお、奥書には、いわゆる成書の”後書き”と
”書誌記入”(特に完成の年月日)とが大きな
要素としてあり、それらを、誰が書いたのかが、
目の付け所となる。
第1冊/4冊の奥書部
1-(1)”後書き”:C氏(=雪竹老人)
1-(2)”書誌記入”:C氏(=雪竹老人)
(遊紙×1)
1-(3)付録①:大将基馬名(後期大将棋)
1-(4)付録②:小将碁馬名(日本将棋)
(遊紙×3)→裏表紙
第2冊/4冊の奥書部
2-(1)”後書き”:B氏
2-(2)付録③:「牧」(東国3国の牧場名)
2-(3)”書誌記入”:A氏の後B氏(B氏作)
(遊紙×2)→裏表紙
第3冊/4冊の奥書部
3-(1)”写了記入”:A氏B氏C氏(書体別)
(遊紙×3)→裏表紙(大和・・の書き込み有り。)
第4冊/4冊の奥書部
4-(1)”後書き”:A氏
4-(2)”書誌記入”:A氏
4-(3)付録④:禅僧耆旧(禅寺僧の役職一覧)
4-(4)”書了記入”:C氏(=雪竹老人)
4-(5)書の推薦者の「あとがき」:竹圃叟
4-(6)付録⑤:異字集(筆跡雪竹老人。推敲無)
(遊紙×2)→裏表紙

以上の内容から、
後書きと、場合によって完成年月等を、特定の写書
者(ABC氏)が記入した後に概ね付録が来ており、

後書きを書いた人間が、著作した付録が、その直後
に付与されている

との印象を、読者に強く与える、コンテンツ構成に、
この西暦1565年写本ではなっている事が判る。
なお、西暦1565年写書完成の、
色葉字類抄ニ(二巻本)前田育徳会尊経閣文庫編本
の構成を決められるのは、当然の事ながら、最後に
写書した、C氏、すなわち、雪竹老人だけであろう。
つまり、雪竹老人は、
付録④がA氏著作、
付録③がB氏著作、
付録①と②がC氏(=雪竹老人)自身の著作と、

読者が判るように、書を4冊化する時に、再編集し
ている

と、考えられる。従って、雪竹老人が所持していた、
色葉字類抄ニ(二巻本)の原本は、巻物だったとす
ると、以下のような巻構成に、なっていたはずだ。

旧①一巻目本文(1冊目/4冊、2冊目/4冊の合)
2-(1)”後書き”:B氏
2-(2)付録③:「牧」(東国3国の牧場名)
2-(3)”書誌記入”:A氏の後B氏(B氏作)
旧②ニ巻目本文(3冊目/4冊、4冊目/4冊の合)
3-(1)”写了記入”:A氏B氏(書体別)
4-(1)”後書き”:A氏
4-(2)”書誌記入”:A氏
4-(3)付録④:禅僧耆旧(禅寺僧の役職一覧)
ひょっとすると、末尾に、
4-(6)付録⑤:異字集(当時B氏筆跡。推敲無)

雪竹老人は2巻目の奥書を、写終了書名だけ、3冊/
4にもってきて、その他の2巻目の奥書を4冊/4
で使い、どの奥書き内容も必ず一回使って、2度は
使わず、昔の人らしい、白紙と書物の一部という、
物理的な物を、大切にする精神を発揮したようだ。
 B氏の奥書きは、元本では恐らく巻物の1巻目末
に有ったので、2巻物写書者の先達の書の存在に、
敬意を表して、第2冊/4冊奥書で、B氏の奥書を
使い、

雪竹老人(C氏)は、4冊割り本を作った責任者

だから、第1冊/4冊の後ろの後書きを、担当した
という主張だろう。むろん、A氏は橘先生本を写書
しようという行為を最初にした、最も大切な人物で
あるから、第4冊/4冊の後書きは、A氏のを当て
たと考えられる。だから結局の所、書の推薦者の
竹圃叟(webによると鎌倉建長寺の竹圃和尚の事)
の後書きの直前に付録①:大将基馬名(後期大将棋)
や、付録②:小将碁馬名(日本将棋)が、

最後の方に書かれているという事がこの本では無い

のであろう。
 以上のように、西暦1565年写書完成の、
色葉字類抄ニ(二巻本)前田育徳会尊経閣文庫編本
の写書本では、書籍編者でもある雪竹老人は、
書籍編者としての立場で各付録を、写書者の後書き
内容の直後に持って来るという方法を、取る事によっ
て、西暦1565年に、

付録①の大将基馬名(後期大将棋)と、付録②の
小将碁馬名(日本将棋)は、自己が著作した物であ
る事を、読者に示して見せている

と、本ブログでは考えるのである。(2019/04/07)

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