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中世大将棋類の金成りのフレ。”最初の一揺らし”は何(長さん)

古典物理学の話では無いが。波動現象は量子論の世界
ではなくて、通常のスケールの世界では、最初に、
ブランコを揺らすように、何らかの作用が無ければ、
現象が発生しない。普通唱導集~後期大将棋の金成り
駒の数の変遷も、その意味では、機械論的な原因が無
ければ、生じない現象とみられる。
 今回は、結論から書くと、横行から竪行、角行が
発生した時点と、

横行の辞書的意味が、将棋棋士の社会に広まるまでの
タイムラグが、その”最初の一揺らし”だったのでは
ないか

という、本ブログの解釈について述べる事にする。
 ようするに、
角行と竪行は、発生した時点では、当初抽象的物体を
意味したが、

横行が野蛮な蛮行を続ける横暴人の増加であるという
中国語の意味が、日本語化する事によって、人間化

し、金将、銀将、銅将と同類となって、金成りとの説
が出てきてしまったための、

混乱の結果と見る

という結論を、述べると言う事である。
 では、以下に実際に少し詳しく説明しよう。
 本ブログでは、平安大将棋は、陰陽寮の学者が作っ
たゲームと、今の所考えている。だから、

平安大将棋のゲームデザイナーは、中国語で元から
存在した、横行の意味を、現代の我々が普通にイメー
ジするのと、同じように知っていた

と、推定する。しかしながら、既に前に述べたように、

色葉字類抄の二巻物にも十巻物にも、横行を見出し語
にしている形跡が無い。

だから、横行は、平安時代末期から鎌倉時代前期に、
中国語として有るが、日本語の熟語としては一般には
無く、漢字一文字の横に、”ヨコシマ”といった、
否定的な意味が、一部有る程度だったと私は見る。
 それだからこそ、”ヨコハシリ”という抽象概念に
過ぎなかった、横行という平安大将棋の駒から、鎌倉
時代の真ん中までには、簡単に

角行と竪行が作れた

のだろうと見たわけである。当然だがまだ、当時は、
淡い記憶であっても、成りの規則として、

はっきりとした人間駒以外は、相手陣奥から後退でき
る場合は不成りとする

という記憶が鎌倉時代中期には残っていただろうから、

西暦1260年型大将棋のゲームデザイナーは、角行
と竪行と横行を不成りにした

というのが、オリジナルだったろうと、私は見る。
 ところが、鎌倉時代末期から遅くとも西暦1320
年までには、

横行が、野蛮な蛮行を続ける横暴人の増加の意味であ
るという事が、将棋棋士程度の中級文化レベルの人間
の間にも、次第に定着してきた

のであろう。

横行は、人間と見なせるから、成りは不成りではなく
て、金将成りではないか

という議論が、当然西暦1300年を過ぎた頃には、
起こってきたに違いない。
 それだけでなく、”良く判らないが、

横行の仲間であるから、竪行と角行も金成りではない
か”という説も、将棋仲間の間では強くなってきた

のではあるまいか。そのため、金成りの駒が多い説と、
少なく見る説が並立し、時代によって、どちらかが、

強くなったり弱くなったりしている姿が今見えている

のではあるまいか。
 以上のように、原因は、横行の辞書的意味が、朝廷
の高級学者たちだけの間で理解されているときに、
角行と竪行が、”無知”から、むしろ簡単に、作られ
てしまったために、そのかなり後で、

②横行が人間駒だという説が、出てきた

のが、金成り駒の数のふらつきの最初に、少なくとも
絡んでいるのではないかとも疑われる。
 特に鎌倉後期になると、人間駒は金成りにするとか、
相手陣奥段で、身動きが出来ないか、後ろに前方だけ
に直進する駒が有って、ダブルで、身動きできない可
能性がある場合は、例外の金成りで、他は不成りだと
いう、

基本法則そのものの記憶が、二中歴の記載の誤写と
ともに希薄化

した。その結果更に、大将棋は③小将棋と同じく
全金成りだとか、
成りについて、二中歴平安大将棋は不明だから、
④全不成りにすべきだ、とかいう新説も加わって、

4つ程度の説のバトルになり、いっそうふらつきの
振幅を増大させた

のではないかと、本ブログでは思考する。
 更には、どのみち成り麒麟の獅子に荒らされて、
崩れて勝負が決まるような展開の将棋だったので、
陣は駒がほぐれないまま、塊になった状態で、相手の
走り駒に攻められる状況になり、そのような将棋では、
走り駒の成りが金でも不成りでも、実は局面評価に両
者で差が余り出ない事も、混乱に拍車を掛けたとみら
れる。
 何れにしても、①横行、竪行、角行は、

元来は不成り

だった疑いも有りそうだ。なお本ブログの言う、金成
りの多い麒麟抄時代、つまり南北朝時代ちょい前の、
西暦1320年タイプ説の元になった、

栃木県小山市神鳥谷曲輪の(一文字)金成り角行は、
教養の中程度以上には高い、南北朝時代の知識人、
堀河関白こと近衛経忠といった人間の作駒が、たとえ
ば元になっている

のではないか。つまり、元々西暦1300年以降は、
大将棋は下降線を辿って継承する者が少なかったため、

近衛経忠という特定個人が、たまたま横行の意味を知っ
ていたので、金成りの駒数を増やして、不確定性を増
大させている

といった”個人起源説”の可能性も、完全には否定で
きないような事さえ、有るように、私は更に疑うとい
う事である。(2019/04/11)

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