SSブログ

雲南省晋寧県石砦山に漢代の金製の騎士彫刻有り(長さん)

本ブログでは、中国雲南省大理市の三塔主塔の金・銀・
ネフライト製の小型仏像の彫刻は、日本将棋の金将・
銀将・玉将のモデルとの立場を取る。時代は、日本の
平安時代の11世紀頃のものであり、現地では大理国
が繁栄していた時代である。三塔主塔の仏像は、大理
の王侯が他界した後の姿であり、彼らは生前、現地で
将軍イメージの王と、見られていたと考えれば、仏は、
将と実質同じだろうと考えられる。
 ただし、大理市の三塔主塔に、大理国の前の、南詔
国の宝持が含んでいるかどうかは定かでない。だから、
従来は、本ブログの言う、玄怪録の”小人の戦争”の、
金象将軍も、モデルが大理市三塔主塔の、黄金、金銀
仏が元かどうかは、不明であった。つまり、
唐代に、吐蕃国対融和路線を取っていた、王朝高官の
牛僧儒が著作した、怪奇小説のモデルになっているよ
うにも見える、吐蕃と唐王朝間の緩衝国家としての、

雲南の南詔国の将棋駒前身宝物が、現在の大理市の
三塔主塔に含まれるとは、自明には言えなかった

のである。つまりはこれでは、本ブログのように、

宝応将棋は、プロト大理国原始平安小将棋とは、簡単
には断定できなかった

という事になる。むろん、大理市の三塔主塔の起源
については、諸説有り、南詔国と全く無関係とは、言
い切れないとは、聞いているのだが。
(参考)
大理国原始平安小将棋
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
口口口口口口口口口口口口口口口口
香車桂馬銀将玉将金将酔象桂馬香車
(但し、酔象は不成りで、現在の角行ルール)
宝応将棋(本ブログ)
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
口口口口口口口口口口口口口口口口
輜車天馬上将金将銀将上将天馬輜車
(輜車天馬は香車桂馬上将は飛車金将銀将は玉将金将)
 しかるに最近、雲南省昆明市にある雲南博物館に、
表題のように、金製の馬に乗った騎士、あるいは上将、
金象将軍のような人物造形物があると、聞き及んだ。
 すなわち昆明市は、11世紀には大理国の域内、唐
の時代には、南詔国の域内とみられるが、近くの漢代
とされる、雲南テン王朝時代の、富裕層の墓とされる
ものの中から、多数出土している動物闘争彫刻の類の
一つの造形物ではあるものの、一部に人間を表現した、
冶金製のパーツを含んでいるものがあるという、話を
聞き及んだのである。なお図の、平和そうな様子の牛
群は、実際には図で、下に切れた所に居る、どう猛な
虎、二匹に狙われている、雲南では名物の牛達である。

晋寧県石砦山.gif

 動物闘争造形物の全体像は青銅製で、前に、そういっ
たものが、雲南省博物館には、多数あると言う話を、
本ブログではした。問題の造形物も、同じ遺跡のもの
である。が、この闘争動物造形物に限って、動物であ
る牛群の所に、なぜか騎士の乗った馬が、一頭加わっ
ていて、その馬に乗った騎士ないし、金将軍、ある
いは、上将、象将を表しているようにも見える人物だ
け、銅製ではなくて、金メッキだというものである。
 ちなみに図で牛だが、雲南省は元王朝時代、豪族・
大名の名前の最初の一字が、猛である事が多かったと、
諸橋徹次の大漢和辞典に載っている。時代は下るが
鎌倉期に、”猛”を修飾詞とする将棋駒、猛牛が普通
唱導集時代の大将棋に加わったと本ブログで見るのは、
一つに雲南省の大名の苗字を、日本の大将棋のゲーム
デザイナーが、まさにこの、モンゴル帝国との戦争の
時代の、西暦1270年頃に、大陸からの戦略情報、
つまりは大理国の滅亡と、その後の状況として、知っ
ていて、上の図の雲南に多い牛を、修飾した猛牛とい
う駒名を作り出したからであろうと、見た為である。
 なお前に本ブログでは、この類の動物闘争造形物自
体が、後期大将棋の動物駒・摩訶大大将棋の動物駒・
中国現代ゲームの闘獣棋と全部、関連があるのではな
いかと、既に指摘した。騎士、ないし金将軍、上将、
象将の乗った、馬のある動物闘争造形物は、繰り返す
と、こうした他の雲南省博物館の、動物闘争造形物と
出土遺跡は同じで、遺跡の場所は、雲南省の昆明市に、
比較的近い、唐代には南詔国の域内の場所である。
つまり雲南には、中国の北宋や牛僧儒の唐代をはるか
に越えて

漢代から、上図のような”金の将軍”のような造形物
を含む、青銅彫刻を作る細工師がいた

との旨が、一般には中国では主張されているわけだ。
なお、年代で表記すると、遺物は紀元前2世紀と、
中国の美術史研究者には、考えられているそうだ。
 話が、余りに旨過ぎる感じだが、一応写真で見ると。
闘争している動物と、馬に乗った騎士は、互いに別時
代の事物ようにも私には見え、中国美術史家に騙され
た感じも多少しなくもない。ただ何分にも、外国の美
術品なため、このような造詣物が作られる、背景が私
には良く判らないし、確かに漢文化の影響のまだ少な
い時代のようにも見える。牛については日本の埴輪と、
カテゴリーが、類似かもしれない。ので、大理国の
遺物よりは古く、唐王朝期、南詔国以前の雲南省のも
のなのだろうとは思える。そもそも”テン国”という
国家が、本当に漢代にあり、出土物は、”そこの富裕
層の者の所有物で、その墓から出土した”という話で、

本当に合っているのだろうかについて、私は正直疑う。

 なお成書の説明によると、東アジア全体に、闘争動
物、つまり闘獣棋文化と言えるようなものは、元々広
がっていて、中国も、その文化圏の一部なのだと言う。
金のベルトのようなものに、戦う龍と熊の頭のような
彫り物が有る遺物が、中国国内の別の場所からも出て
いて、匈奴国が存在した時代のものだと、説明されて
いる。
 今の所、この金の騎士ないし、金象将軍ないし上将
像のようなものの存在からみて、

雲南には、ひよっとしたら、漢代ないし唐代から、
金将立体将棋駒前駆像を作り得る、金細工師が居た事
を示している

という事は、確かなのかもしれないという感じはする。
 ”東アジア全体に広がるはずの闘獣棋文化”を示す
彫刻・造形物が、雲南省博物館でしか大量には、日本
で出ている現代成書レベルで探しても、私には見当た
らないように見えるのも、変な話のように、私には
常々思えるのだが。
 一応、雲南省の昆明市付近から、牛僧儒の時代より
前から有るものだと言わんばかりに、動物闘争造形物
にくっついて、馬に乗った将棋の駒の金将、ないしは
小人の戦争の上将や金象将軍、東南アジアの、一部の
象駒の姿を連想させる、謎の

立体駒のようにも見える、金製の小型造形物体が出土

しているという事実自体は、どうやら確かである。
(2019/04/20)

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。