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和漢三才図会の将棋周辺語の日葡辞典で出現状況(長さん)

言うまでも無く、岩波書店の邦訳日葡辞書は、安土桃山
時代末から江戸時代草創期に掛けての日本語の、復刻が
目的の日本語→日本語辞書である。もともとは、その頃
ポルトガル人が作った、日本語→ポルトガル語辞書であ
り、説明ポルトガル語を、再度日本語にしたものである。
 そこで今回は、中将棋が有る事が、

どの程度異例なのか

を、江戸時代の百科辞典、寺島良安の和漢三才図会で、
遊戯が書かれている、将棋付近の項目が、岩波書店の
邦訳日葡辞書に載っているかどうかで、チェックして
みた。
 結果を書く
囲碁は”ご”として載っている。
双六は”すぐろく”として載っている。
小将棋は”しょうしゃうぎ”として載っている。
中将棋も載っている。
将棋は当然載っている。
将棋倒しも載っている。
大将棋は載ってない。
八道行成は載ってない。
蹴鞠は載ってない。
投壷は載ってない。
弾碁は載ってない。

以上の事から、結論としては、当時のポルトガル人には、

中将棋は蹴鞠より有名だった

事が判った。
 では、以下に詳しく述べる。
日葡辞書に、日本の江戸時代草創期の遊びが、全部詳し
く載っているとすれば、中将棋が載っていても、さして
不思議ではない。だから、以上のような調査には、意味
が有ると見られる。
 結果を見ると蹴鞠は、明治時代には、一般の日本人は
余りやらなくなったが、

安土桃山時代の、中将棋を指す貴族層にも、蹴鞠が廃れ
ていたとは、少なくとも私は聞いた事が無い。

だから、ポルトガルの宣教師たちは、日本語を知らない
と不便だから、中将棋を調べたのではなく、

遊戯具が特殊な形態であったため、驚いて調べた

と、蹴鞠さえ載せなかった事との対比から、明らかに推
定できると私は思う。

サッカーの上位概念と聞く、フットボールが既に、
スペイン・ポルトガルでも盛んだったのか?

とにかく宣教師は、蹴鞠は見ても、余り驚かなかったよ
うだ。あるいは中国にも有り、名称が類似で、辞書に載
せなくても良い程度と見たのか。正確には判らないが。
 何れにしても一見して、日葡辞書中の項目”中将棋”
の存在は、いかにも異形だったが。更に良く調べてみて
も、その第一印象がやはり正しかったようだ。
 ちなみに更に、辞書に載っている将棋駒名を調べてみ
ると、日本将棋の初期配列を、西洋チェス類似と即断し
て間違ったようで、角行が、単に動かし方のルールが同
じなだけの、チェスのビショップ(僧侶)相当のものと、
説明されている。また日本将棋の駒の、多くの物が紹介
されているが、王将、玉将、金将、銀将が抜け、辞書の
見出し熟語としても存在しない。龍馬は有るが、龍王は
将棋駒としての紹介は無い。
 特に、玉将、金将、銀将が抜けているのは、角行を、
銀将と取り違えたため、わけが判らなくなり、将駒を辞
書作成者に、宣教師等が紹介しなかった、ためだろうと
考えられる。つまり日本将棋の初期配列は、西洋チェス
と規模が、概ね等しいと認識されて、宣教師の関心が
それ以降薄くなったと、判断できるように私は思う。
ただし、何故か”王手”が有ったと思う。チェックの意
味かどうかは、日葡辞書の説明では良く判らないが。
 なお中将棋等、駒数多数将棋の構成駒についての説明
自体は、日葡辞書には余り無いようだ。国語として語句
の説明のための熟語としては、複数出ている。
(2019/04/22)

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