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水無瀬兼成将棋纂図部類抄の”立馬畧頌”は水無瀬作(長さん)

将棋六種之図式にも転載されているが、水無瀬兼成
の将棋纂図部類抄に、摩訶大大将棋の初期配列を
記憶するために作成されたと、通常見られている、
表題の立馬畧頌という、漢詩の字列を連想させる、
七文字組で続いた、28句の詩文が存在する。今回
は、その著作者が誰なのかを論題とする。
回答と根拠を先に書く。

水無瀬兼成の疑いが強い。

12句目に、”走馬与利、立(二)于端(一)。”
と、書かれているが、

実際と合って居無い。泰将棋と摩訶大大将棋が、
ごちゃ混ぜであり、泰将棋の作者が書いたみなせる

からである。
 では、以下に説明を加える。
 摩訶大大将棋に関する立馬畧頌を読むと、問題の
箇所は、無いと27句になってしまい、奇数句の詩
になるのが見苦しいので、後で加えたように見える。
が、作者は、

摩訶大大将棋の端列に、車句の類だけが置かれてい
るのではなく、小駒の驢馬が有るのを、うっかり忘
れた

ようだ。実際には、厳密にこの句の通りになってい
るのは、後期大将棋と泰将棋だけである。
後期大将棋の端列に車駒が集められているのが他の、
より上位の将棋種類でも、デザイン上参考にされた
事は、確かと見られる。しかし、摩訶大大将棋では、
桂馬を2升目動き駒に入れて、3段目に持ってきた
ので、端列に、驢馬を、たまたま入れている。
だから現実として、

摩訶大大将棋は、その立馬畧頌のようには、なって
いない。

 他方、本ブログで何回か述べたように、豊臣秀次
の来客室等に泰将棋を飾るときに、お抱えの者が、
事故なく配列できるように、泰将棋の成りは中将棋
程度に、作者の水無瀬が抑えたと考えられている。
 ツジツマが合わなくなったので、大将棋畧頌で、
玉駒を玉将と記載しながら、実際には不成りの自在
王に変えているのが証拠と、本ブログでは以前指摘
した。このような”手直し”は、泰将棋の実際の作
者で無ければ、簡単にはできないからである。
 しかし問題の立馬畧頌を作成するとき、恐らく他
ならぬ、著作者の水無瀬兼成は、摩訶大大将棋の”
立馬畧頌”で、泰将棋デザイン製作時の記憶と混同
して、摩訶大大将棋の驢馬の存在を、うっかり忘れ
たようだ。そのため、問題の第12句目を、偶数化
のため、苦し紛れに付け足してしまったのだろう。
 だから水無瀬兼成以外の人間が、摩訶大大将棋の
立馬畧頌を作成したとしたら、第20句目が、やや
くどいために、それを削除するやり方を、幾らか考
え抜いた末えに、気が付いただろう。その結果、
第12句目の、結論で書いた一節は、そもそも加え
なかったのではないかと、私には疑われる。
 摩訶大大将棋の初期配列図だけしかないとすると
当然だが、泰将棋がそもそも無いと、摩訶大大将棋
を含めて、

”走馬与利、立(二)于端(一)。”は例外が多く
おかしい

ように、見えるはずである。
 よって、将棋纂図部類抄の特に、”出来たて”
泰将棋有っての、摩訶大大将棋の立馬畧頌であり、
その立馬畧頌も、署名のある、

”大将棋(=泰将棋)畧頌”同様、
水無瀬兼成本人の作である可能性が、かなり高い。

以上のように、私は疑うのである。(2019/06/03)

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