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今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋時代成未成立(長さん)

再三述べたが、神奈川県鎌倉市御成町の、鎌倉の
遺跡発掘報告書保管場所、鎌倉市立図書館の隣、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土の中将棋木札
には、狛犬、猛豹、中将棋型の盲虎駒の三種の記載
があり、その木片を個別の中将棋の12升目盤卓に
セットする事によって、南北朝時代に、該当将棋盤
卓での、ゲームバージョンが、”狛犬中将棋”であ
る事を示していたと見られる。
 このうち猛豹は、”もう(し/ひ)や(う)”
(ただし、”し/ひ”は、”し”と”ひ”の中間音で
発音する事を意味しているらしい)の意と表現され、
猛豹が”まうへう”ではなく、”もうしやう”と、
歴史的カナ使いで表現される、”猛将”に近い事が、
強調されている。つまり豹駒を、将駒の仲間として、
最下段に配置すべき事をも、指示していると見ている。
 今回は、”もう(し/ひ)や(う)”である事から、
別の意味で、この木札の成立時点には、いわゆる、
”中将棋らしい『成り規則』”が、不安定だったと
結論できる点について述べる。つまり、この木札と
白駒成り香車駒等が、一例として同一時代には共出土
する事は無いと、一応考えられるという意味である。
ちなみに、本ブログでは、神奈川県鎌倉市の、
鎌倉鶴岡八幡宮境内出土駒群の成立を、今小路西
鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札成立の、約30年
程度前と見ている。つまり鎌倉鶴岡八幡宮境内出土駒に、

典型中将棋駒は無いと見られる

という意味である。
 では、以上の結論について、以下に補足する。
 重要な点は、
猛豹は猛将に近いと、21世紀の今と違って、当時は
主張しなければならなかったという事は、

中将棋では、猛豹が準将のランク付けであり、銅将の
袖隣に配置していることが、特におかしいわけでは無
いと言う事を、将棋棋士の誰もが、認めたわけでは、
無かったという事を示している

と考えられるという点である。つまり、

猛豹の成りは角行だという主張について、違和感を
唱える、当時の古参の棋士が居たと考えられる

という事である。ところで中将棋の成りは、元々、
太子、獅子、奔王に成る事が確定していた、酔象、
麒麟、鳳凰以外は、次のように、駒の強さの序列を
イメージした上で、成りを割り当てて行った結果、
成立したと自明に考えられる。
 すなわち、その序列では、次のように元駒が並ぶと
みられる。
龍王、龍馬、飛車、角行、堅行、横行、反車、香車、
盲虎、金将、猛豹、銀将、銅将、仲人、歩兵。
 結果としては、これらに次のように、成りを対応
させた。
飛鷲、角鷹、龍王、龍馬、飛牛、奔猪、鯨鯢、白駒、
飛鹿、飛車、角行、竪行、横行、酔象、金将。
 明らかに、この対応付けは、猛豹を将位同等駒と
認めるかどうかが問題であり、

バタついていたとしたら、銀将の成りが竪行か角行
かでフレが生じるために、確定できない。

 だから、皆が猛豹は、将の類の居る1段目にある
のが普通で、将の仲間に入れても良いと感じるよう
になってから、成り規則が完成したと明らかに、推
定できるはずだ。
 つまり、今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋
木札のような文言が、ゲームバージョン指定札とし
て残っているような局面では、

中将棋の成りは、誰にも当たり前の物として受け入
れられるほどには未だ、確定はしてはいなかった

とみなせるのではないか。恐らく、この木札を使っ
たころの中将棋に、成りは後期大将棋の3枚程度し
か無かった疑いが強い。つまり中将棋木札の将棋は、

鶴岡八幡宮境内出土駒のたとえば、不成り香車等が、
しばしば兼用使用されるような、黎明期の中将棋

だった。
 以上のように特定できるのではないかと、私には
現時点でより明確に言えると、考えられるようになっ
て来たと思われるのである。
 この木札の存在は、以上のように、たいへん大き
いものがある。紛失したそうだが、早く見つかって
ほしいものである。(2019/06/12)

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