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尊経閣文庫色葉字類抄ニ巻物き雑物”銀将”下金左付き(長さん)

江戸時代の加賀前田藩の蔵書、尊敬閣文庫に、現在
一冊だけ現存の、色葉字類抄ニ巻物があり、中将棋の
一部の駒とその成り駒名が、本文中の”き”と”と”
の雑物に記載されている。三巻物の色葉字類抄に記載
が無い事から、八木書店発行、”色葉字類抄ニ、二巻
本”(西暦2000年)の解説の、(ニ)書誌で、
写書の経過を説明した後に、最後の方で、”(1~3
回目の、)

写書時の追加であろう”との旨、峰岸明氏により指摘

されているケースの類例であろうと、本ブログによっ
て現時点で疑われている。
 今回は、さらに何時の追加であるのかを問題とし、

近世では無いようだ

との旨を論じる。根拠は表題のように、尊経閣文庫蔵
の色葉字類抄ニ巻物の”き雑物”部の”銀将”の下の
”金”が、左付きであって、

右付きで無い

という点からである。
 なお、より重要なのは、

”香車”の下の”金今”が、右付きであって”銀将”
と違う

という点である。銀将の方を”題名”にしたのは、色
葉字類抄の、各要素文字の下の、小さい字で書かれた
成分の書き方としては、”香車”の”金今”の右が正
しく、”銀将”の”金”の左下付きが、逆なためであ
る。
 先ずは、この”逆パターン”が何を意味するのかを、
先に書く。
 ”玉将、金将、飛車、銀将、竪行、香車、白駒”を
加筆した人物の時代、銀将駒は比較的大きく、

香車駒は細長くて、一乗谷朝倉遺跡の駒や、石名田木
舟駒のような形をしていた。そのため、”香車”を
左詰めで書くと、右に空きが出来るというイメージが
強かった

と推定できるからと考える。つまり、水無瀬兼成の頃
以降の、近世の将棋駒のパターンが成立するより前の、
戦国時代の日本将棋の駒が主流であった時代の、加筆
であると推定できるので、

江戸時代の加賀前田藩で誰かが、悪戯で加えたもので
はないと、ほぼ断定できる

と考えるとう意味である。
 では、以下にもう少し、詳しく説明を加える。
 本ブログでは、”と雑物”の銅将の、右下付き”裏
横行”加筆と同じ形式であるため、1冊目/4冊末備
”大将基馬名”と、中将棋駒の本文の加筆はいっしょ
であり、かつ、大将基馬名の”猫刃”書体等から、
上限(遅い)が近世である点を、否定できないとの認
識を、これまで取ってきた。もっとも、大将基馬名の、
飛車成りの裏金の金が、戦国時代の、
観音寺城下町遺跡出土の、歩兵の成り金と同じである
から、安土桃山時代よりは前の疑いは、元々強かった。
 何れにしても、”と雑物”の裏横行銅将の記載は、
1分冊/4冊末備一覧形式の、大将基馬名との関連性
を強く意識させる。が”き雑物”の、 ”玉将、金将、
飛車、銀将、竪行、香車、白駒”と、離れた場所の記
載の字を、いっしょくたんにした議論である点が、多
少気になった。また、香車に下付きでついた、”金今”
も、近世になると、極崩しの金を意図している事は、
例えば”金鈴”という熟語は、諸橋大漢和辞典に有っ
ても、”金令”という熟語は、特に見当たらない事か
ら明確だが、香車の成りの金の書体が、戦国時代等に
も、極崩しの金であるという史料は、厳密には乏しかっ
た。
 そこで、更に色葉字類抄の2巻物の、”き雑物”の
 ”玉将、金将、飛車、銀将、竪行、香車、白駒”文
字列に現われた、表題の銀将と香車下の、”説明型の
小型文字”の付き方に、今回は着目して、冒頭の結論
に至ったものである。
 つまり、”き雑物”の ”玉将、金将、飛車、銀将、
竪行、香車、白駒”文字の中で銀将に下付きで付いた
”金”という文字が、”説明文字”であるならば、右
付きであるにも係わらず、実際には左下に書いてある
のには以下のような経緯があるはずである。すなわち、

成立した時代に、銀将が大判メンコのような形の、
左に大きく、将の字が張り出している物品というイメー
ジが、加筆者の頭の中で強かったため

と、考えられると言う事である。そこで実際に、出土
駒が、そのような形であった時代を考えると、

室町時代の中期とみられる、富山県の石名田木舟駒や、
戦国時代後期、福井県の一乗谷朝倉氏遺跡駒が、イメー
ジとして浮かび上がってくる

という事になる。加えて、香車の下の説明添え字の”
金今”が、通常の色葉字類抄の説明添え字文字の書き
方フォームと同じく右下で、銀将のパターンとは変え
てあるのは、左詰めで縦に香車を書くと、

右に余白ができる、石名田木木舟の改造香車駒(?)
や、一乗谷朝倉氏遺跡の、細長香車駒の時代であった
から

と説明できるようにも思われるのである。
 以上の事から、金将、銀将、桂馬、香車、歩兵と、
だんだんに、駒が小さくなった、安土桃山時代以降の
日本将棋の駒と違い、銀将は大きく、香車が細長いと
いうイメージが、加筆者の頭の中に明解に有った為に、
色葉字類抄の添え字記載規則に反して、
大判メンコのような大振りの銀将には、左下の余白を
利用して、左下に金を書くと格好が良いという考えか
ら来る規則違反の行為と、細長いから香車を左詰めに
置くと、右に余白ができるから、銀将に合わせずに、
香車の”金今”は、通常の規則で右下に書くという行
為を、

うっかり、成立年代がバレバレになるにも係わらず、
加筆者はしてしまった

のではないか。以上のように考えられるため、犯人が
江戸時代の、加賀前田藩の人間ではなく、成立は、

応仁の乱の少し前の室町時代後期から、戦国時代まで
の間だろう

と、”き雑物”のセクションだけでも、単独に推定で
きる可能性が有ると言う事に、本ブログに於いて気が
ついたという事に、なったのである。(2019/06/26)

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