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二中歴横行の位置。”王の頂”に”方”が何故付く(長さん)

先行文献として、web上の溝口和彦氏の平安大将棋
自陣4段型初期配列が有名だが、4段型初期配列の
平安大将棋の模型では、横行が3段目に来るとする
意見が強い。本ブログでは奔横が導入できない不都合
がある為、”頂方”の”方”の字の存在について、既存説で
は個別に、解析した結果が、web.上に見当たらない
ため、”よく判らない”との旨の表現をし、これまで、
ほぼ無視してきた。今回は、最近の知見に基づいて、
この問題を再度考察し直し、理由が何なのかを論題と
する。回答を先に書く。

二中歴の大将棋の部分の筆者も、横行の導入が玄怪録
の上将から来る事を知っていた。そこで、横行は本来
将位の駒に準じるものであるにも係わらず、玉将の
傍方に配列しないで、前升目に例外的に配列している
という気持ちで、頂ではなくて、頂方と表現した

と考えられる。では、以下に説明を加える。
 二中歴の大将棋の記載では、最下段駒の配列と、駒
の動かし方ルールを説明した後に、歩兵の段数には言
及せずに、その他の駒の初期配列位置と、駒の動かし
方ルールを説明している。このうち各駒の初期配列は、
その前に位置を説明している、次の駒群を基準にして
いる。
横行は王将。
猛虎は銀将。
飛龍は桂馬。
注人は中央の歩兵。
この場合の王将は、恐らく玉将と読むとの心であろう。
桂馬は、位置を書き忘れているが、とにかく存在はす
るのであろう。
 また何れも、基準駒の前升目等に有るように、相対
位置が記載される。相対座標の表現は、各駒について
次の通りである。
横行では頂方。
猛虎では頂。
飛龍では上。
注人では頂。
 先行研究の溝口和彦平安大将棋四段配列モデルによ
れば、彼が自分のブログで書いた初期配列図等から、
頂は直ぐ前の升目。上は進み先(中央へ寄る方の升目
へ桂馬跳)、頂方は、2前の升目との事と解釈してい
るようであった。
 本ブログでは、飛龍の位置は3段目配列から4段目
配列に変化するときに、桂馬の二つ前の升目へ移動し
たと解釈して、飛龍と猛虎を同筋にするため、飛龍は
桂馬の1つから2つ前の升目へ、筋変えをしたと考え
た。ここでは、この点の優劣は問わない事にする。
 そして問題は横行であり、本ブログでは奔横を導入
する際の都合の悪さから、”方”を入れたのは、たま
たまで、意味は無いと無視してきた。

今後は、最後に述べた横行の相対位置を記載する頂方
の方について、以下のように、本ブログの論を訂正

する。つまり、単に横行在王(将)之頂。行前一歩・・
と書かずに、横行在王(将)之頂方。行前一歩・・と
頂ではなくて頂方と、二中歴で記載したのは、

横行が金将位置や桂馬位置に有っても、本来おかしく
ないとの認識が、当時は有った為

だと考える。”方向が”と”方”を入れて、王将に対
して、

横列に置かれない事を、強調した為

と、考えるという事である。
 理由は前に述べたとおり、横行とは、元々玄怪録を
読んで、平安大将棋を作成した、平安大将棋のデザイ
ナーが、上将という名の駒を導入しては、5将制の
平安大将棋では、くど過ぎて適切で無いと見た。その
ため、玄怪録岑順(小人の戦争)の、上将の駒の動か
し方の説明とみられるものの中に有った、横行を、
中国語では名詞に転用できると正しく認識して、置き
換えたものとの解釈を、本ブログでしたという事であっ
た。恐らく西暦1200年頃までは、二中歴の編集者
に、陰陽寮内で西暦1110年頃であったとみられる、
平安大将棋のデザイン現場の事情が、情報として残っ
ていたのであろう。
 準将の意味である”横行”が、金将、銀将、銅将、
鉄将と異なり、”王(読み恐らくぎょく)”の横位置
ではなくて、前位置である事は、

レアーなケースである

と、二中歴の大将棋の著者に、感じられたのではない
か。そのため、頂で良い所を”方向は頂であって横で
は無い”との含蓄で、横行だけ、頂ではなくて頂方と、
初期配列位置が、表現されたのではないか。
 従ってやはり、横行の位置が頂ではなくて頂方とな
っていても、この”方”は、”ずっと向こうの方”の
”方”では無くて、”『方向』がこっち”の”方”と
も、少なくとも取れるので、結果は無いのと同じに、
なるのではないか。
 以上のように結論出来るように、私には思えるので
ある。(2019/06/28)

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