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楽しい将棋の有ゲーム性。小将棋持駒型が中将棋より先(長さん)

だいぶん前に論じたテーマの続きだが、ここでは、
通説15世紀早期に開始した、娯楽として将棋を
指す行為は、南北朝時代の中将棋の確立では無く
て、鎌倉時代1320年頃の、小将棋への現在と
ほぼ同じと見られる、持ち駒ルールの確立からで
あるという点につき論じる。なお、本ブログでは、
これまで中将棋の成立によるものとしてきたので、

これは、以前の考えを撤回するという事

である。
 理由は、旦代の難点が残っていても、それを、
そのような局面からは、無理攻めを押し通すとか、
最初から駒落しして指すとか、そもそも9升目盤
では無くて、8升目の将棋盤で、金将を2枚から
1枚へ減らして指すとか、以上の”何らかの方法”
で、解決しさえすれば、

持ち駒ルール特有の、終盤近くのオフェンスの強
さゆえ”何だか、一般規則が判り辛い状況のまま、
終盤攻められて玉が詰む”現実として面白いゲー
ムへ、それまでのものが、変貌を遂げたから

と考えられる。
 では以下に、もう少し説明を加える。
 西暦1300年前後の普通唱導集の小将棋の唱
導唄の第2節は、佐伯真一氏の説の通り”小将棋
に、持ち駒ルールが存在する事を示している”と
言うのが、従来からの本ブログの見方である。
ただし、

西暦1300年には、成りが相手陣三段目を跨い
だ時点の一発成りだった為、持ち駒ルールの機能・
効果が、今とは実質的に違っていた

と本ブログは考える。状況から見て、それが同じ
になったのは、僅か後の、

新安沖沈没船の船内で、小将棋が船員に指された、
西暦1320年代ではなかろうか

と思う。鎌倉末期の太平記に、密偵と斬り合いに
なった、大宰府の武家の頭少弐直資が、小将棋盤
とみられる将棋具で、敵の刃を避けるシーンが、
記載されているし、少し時代が前だが、西暦13
04年頃亡くなった、鎌倉時代の後深草天皇の亡
くなった後の遺品に小将棋盤が有った事などから、

小将棋のルールが改善されて、旦代の難点が西暦
1320年頃には、それ以前よりも軽微になった

と、疑われるからである。つまりは桂馬を相手陣
に打っても、3段目なら最奥へ動いたときに、西
暦1300年頃のルールでは成れなかったが、西
暦1320年ルールでは成れるので、銀と交換し
てしまった失敗を、相手が悔しがらなくなった、
といった変化が、実際には起こったという事が、
考えられるという意味である。
 その結果、西暦1323年前後、

新安沖沈没船船内では、小将棋が娯楽として指さ
れた

と推定される。西暦1300年よりかなり前まで
は、都へ栄転させてくれるように、あからさまに、
大宰府で原始平安小将棋を指してみせるといった
”生きている『神様のような』為政者への願掛け”
や、モンゴル帝国が攻めて来そうなので、
”敵国降伏の呪い”をするといった呪術的な動機
で、将棋を指していた事が多かったのであるが、

西暦1320頃から、それが実質、暇つぶしの
娯楽の為

等、現代に近い動機に、

小将棋から先に転換した

と、少なくとも最近、私は考えるようになったの
である。
 異性庭訓往来には、各種の将棋が指されている
かのように書いてあるが、実際には南北朝時代は、
平安小将棋が、良く指されていたのだろう。
 ただしそれを追いかけるように、西暦1350
年頃には、旧普通唱導集大将棋の、定跡化の難点
を克服し、先獅子の規則等が有るので、アヤが出
来て、

面白い中将棋が確立

してきた。
中将棋は、旦代の難点は無縁であったし、日記を
書くのは貴族が多かったので、今に残る記録とし
ては、

15世紀に中将棋が立ち上がって、娯楽としての
将棋が延びたように、文献だけからは見えた

と考えられる。
 要は、

新安沖沈没船の中から、駒種によって大きさ・形
を完全に変えた小将棋の駒群が、現実として複数
出土しているという点を、重く見るべき

だったのだと考える。
 ただし、持ち駒ルール有りの平安小将棋という
のは、歴史的な日本の将棋としては、研究が余り
進んでおらず、現行

面白いと実際に実感しているのが、本ブログの管
理人等、人間の頭数が限られている事に、この文
面を御読みになられている方は注意

してほしい。つまり”日本の将棋の看板である、
持ち駒ルールの成立は、早いに違いない”という
空気は、将棋史界に昔から有るが、特定の将棋、
すなわち

平安小将棋、持ち駒ルール有りタイプの終盤につ
いて、詳しく論じた、少なくとも成書は無い

という現実に、注意はしてほしいという意味だ。
 つまり、今回述べた事は、”それがあるなら、
人気は高まるはずだ”等と、漠然と主張はされた
ものの、その効果を、定量的に考える等の意味で、

将棋史界では意外に厳密には議論され尽くしては
居無い事柄

という事なのである。政治的思惑を匂わせながら、
”大将棋を指し”ていると表現された娯楽将棋以
外の史料が、藤原頼長の台記位で少ない為である。
(2019/08/05)

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