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将棋世界94-11弱シャタル(木村義徳)の確認(長さん)

以前に述べた、将棋世界1994年11月号208
ページより213ページ紹介の、木村義徳、元将棋
博物館館長聞き取りの、モンゴル古将棋弱シャタル
について、最近将棋世界を実際に確認して、内容を
チェックした。岡野伸氏の”世界の主な将棋”への
転載内容で、

概ね正しい事が判った。

 以下、もう少し詳細に述べる。
 なお、聞き取りは個人から、木村氏が当時得たも
のであった。つまり聞き取り元は、モンゴル将棋の
愛好家で、モンゴル語と日本語間の通訳を当時して
いた、モスクワ大学卒業のモンゴル人、

アルタンスク氏、一名からだけによるもの

であると記載されていた。木村氏は、アルタンスク
氏から、”兵駒の成り先を聞きそびれた”と、当時
の将棋世界の該記事で記載しており、この弱シャタ
ルについては、来日していた、アルタンスク氏の情
報以外に、関連情報が全く存在しないようであった。
聞き取り元のアルタンスク氏は、”(木村義徳氏
発掘)弱シャタルは、

現在(1994年)は、田舎でのみ指されている”

と、発言していたそうだ。
 従って、ほかのモンゴル弱シャタル同様、

アルタンスク弱シャタルも残念ながら、何時頃から
のものなのかに関する、基本的な情報が無い

ようだ。
 なお、この弱シャタルについては、これだけのよ
うであった。が、ヒャーシャタルのヒャーについて、
木村氏は”モンゴル史研究家の吉田順一氏によると、
『ヒャー』という官職は、中国で言う清王朝の時代
の物”であるとされる”と紹介していた。ヒャーシャ
タルは、モンゴル象棋がチェス化してから、ヒャー
駒を導入した物と、木村氏自身が解釈して居る事も、
木村氏の、将棋世界1994年11月号の記載から、
私にも読み取れた。
 なお、木村氏の記述でも表が書かれていて、モン
ゴル強シャタルは、西洋チェス化型であると、木村
義徳氏は、はっきりと表現していた。
 木村義徳氏は弱シャタルを、日本で言えば平安小
将棋のような、伝来した始原将棋とのイメージで、
該雑誌では論じていた。が、それをサポートする情
報は、少なくとも雑誌のその記事を読む限り、元々
無いように、私には読み取れた。つまり、玉を除い
て、走り駒の走りを、歩みに変えただけの、西洋チェ
スの改造品だという疑いを、このゲーム種に関して
払拭する情報は、元々無いという事だと、私は認識
するようになったという事である。(2019/08/19)

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