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歩兵をチェスのポーンに変えると旦代問題は消える(長さん)

以下のような取捨て平安小将棋の序盤完了局面に、
攻め側から、有効な着手が無いという事を内容と
する、旦代の難点(旦代問題)は、歩兵が仮に、
チェスのポーンだとすれば、起こらないという
事実について、ここでは述べる。その結果、

ポーンから歩兵の進化は、日本国内では無い
可能性が出てきた

旨を結論する。
 旦代の難点とは、取捨て型9升目平安小将棋で
仕掛直前の以下のような、後手マネ将棋に於いて、
攻め側(通常は先手)に、有効な着手が無いとみ
られるという、標準型平安小将棋の行き詰まり問
題の事である。

標準平安旦代.gif

結論に向かって、とっとと進むが、上記の歩兵を
チェスの斜め前升目取り型の、チェスポーンで、
以下のように置き換えてみる。

標準平安旦代ポーン.gif

 ここからエクセル図で、▲H5ポーン(日本将棋
棋譜の▲2五ポーン)と指し出して進めると、たと
えばマネ将棋を続けると、以下のように変化する。

標準平安旦代指掛.gif

 この指掛け局面では、マネ将棋だったため、早晩
行き詰まるか、先手必勝になるとみられる。が、

とにかく旦代の難点は、解消している。

 つまり、兵駒が、歩兵ではなくてポーンだった、
伝来国時代の原始的な日本の将棋では、標準型の
9×9升目の平安小将棋(伝:大江匡房発明)に
変えても、旦代の難点が、起こらないのである。
 想像では有るが、もしポーンを歩兵に交換したの
が、11世紀の日本国内であったとすれば、ポーン
であった記憶は、残っていて、歩兵が歩兵動きから
ポーン動きに、院政期にゆり戻す可能性が、有るよ
うに思える。
 しかしながら、そのような変化を、日本の小将棋
は、実際にはしなかった。

だから、伝来したときに、歩兵は歩兵だったため、
日本人にポーンの知識は無かった可能性が高いと
した方が、説明としては自然

のように、感じられる。
 以上の報告は、今までの本ブログの論とは、

矛盾している。

しかし、やってみるとそうだったので、これからは、
伝来したときには、たぶん既に、歩兵は歩兵の可能
性が高いとの説に、変えようと思う。(2019/09/16)

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