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木棒先端墨書”五角形駒歩兵成り歩兵”は失敗作か(長さん)

以下は、西暦1994年頃出土の興福寺西暦
1058年物将棋具出土物に関する話題であ
る。そもそも1994年の発掘で、将棋駒が
15枚出ている。他に酔像木簡と、年代木簡、
それと今回問題にする、木棒の先端に墨書で
オモテに歩兵、裏に五角形の将棋駒型の中に
歩兵と書かれた、”半製品”と呼ばれている、
将棋駒関連遺物があると言う訳である。
 増川宏一氏の、将棋の歴史(平凡社)
西暦2013年によると、木簡研究1994
年11月号に”歩兵の駒なら、裏は『金』で
なければならない”と記載されているという。
その為増川氏は、”この遺物は将棋駒の半製
品で、失敗して遺構である井戸に廃棄された”
との旨同書で記載している。むろん、これだ
けの情報で

真相を特定するのは困難だろう。

ここでは、この解釈以外に

何か無いのかどうか

を論題とする。答えから入る。

有る。

余興で普通唱導集の小将棋の唱導唄の第1節
に類似の唄を、

酔っ払って、宴会場などで踊りながら唄う時

に、使うアイテムとして、作成したものなの
かもしれない。
 では、以下に説明を続ける。
目を付けなければ、ならないポイントは、

将棋の駒型の中に歩兵と書かれた図は、本当
に単なる歩兵の意味なのか

という事であろう。
 個人的に私は、”五角形駒型歩兵”の図で、
あて字的に、当時”金将”と読んでみせたの
ではないかと、

木簡研究1994年11の見解を疑っている。

将棋駒型の部分が曲者で、昔は、漢字の金の

シルエットとも見ていた

のではないかと、個人的に、思い始めている
からである。
 本ブログでは、将棋駒の五角形は、元々は
経帙牌で、願掛け、権威、五行等を同時に表
した、絶妙の選択ゆえの、定番化意匠だと解
釈している。そして、今まで述べたように、
原始平安小将棋の、ゲームとしての出来が
今ひとつであっても、日本でだけは流行った
のは、金に成る歩兵を、願望としての己の
なりたい姿と見て、その将棋を熱心に指した、
(やんごとなき)武者でもあるという階層の
棋士が、日本にある程度居たからだと見てい
る。つまり、

金将に成る将棋の駒の中でも、歩兵の金成り
には、各自の思い入れが特に強かった

と見られると言う事である。将棋と言えば、
”歩兵がアレに成るゲーム”というイメージ
が、当時は有ったのではないか。
 ようするに、

五角形駒型歩兵という図形は、歩兵と書いて
あっても、金のシルエット型で囲まれている
ので”歩兵の成った、かの偉大なる金の将”
の意味と読む

のであろう。
 だから、問題の棒は、オモテが歩兵、裏が
実質正しく、成り金と書いてあるに等しいよ
うにも私には見える。そして、柄が付いてい
るのは、旗印のように振るアイテムだからだ
と思う。つまり特定の唄を、唄いながら振り
かざすアイテムだとすれば、普通唱導集の、
小将棋の唱導唄の第一節を唄いながら、旗の
代わりに、オモテと裏を、ダンシング・ユー
チューバーのように、カメラならぬその場の
聴衆に向かって、出したり引っ込めたりして、
強調して見せるような、使い方が考えられる
のではないのか。
 確かに将棋具と、共出土した事も確かだが。
将棋を指しながら、興福寺の賭博場では酒盛
りもしたのだろう。だから、そのうち宴会が
始まって、普通唱導集小将棋の唱導唄と類似
のパフォーマンスを、酒の勢いでしてみせる
棋士も居り、その際問題の、”失敗作”だと
考えられた、棒切れのような、歩兵成り金の
旗印を振って、宴会を盛り上げて、みせるよ
うな者も、全く無かったとまでは、言い切れ
ないのではないかと、私は疑う。
 よって、確かにこれだけの遺物情報から、
問題の遺物の正体を特定するのは困難だが。

歩兵が複数書いてある、木簡類には、日本の
原始的な将棋が、何故日本でだけ流行ったの
かという、ゲーム史上の背景情報が隠されて
いる可能性がある。

以上のような警戒だけは、怠らないように
したいものだと、私は考えているのである。
(2019/09/22)

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