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雲南王室。金銀食器の使用は南詔国の時代から(長さん)

本ブログでは、中国のweb上の電子百科の情報
から、表題の件をこれまで、大理国の時代として
来た。今回は古文書の情報から、南詔国の時代か
ら、王宮での身の回り品は、金・銀等の貴金属製
であった疑いが、極めて強い事を述べる。

情報源は唐代文書”蛮書”の第8章”蛮夷風俗”

である。この書は、加筆が有り、問題の王宮の食
器の材質の部分が、原本に有るのかどうか謎であ
る。しかし、一応成立が、唐王朝の時代であって、
王室は南詔であるから、大理国の王室だけでなく、
雲南の王室は、その前の時代から、揚子江の上流
で取れる、砂金等で作成したと疑われる、贅沢な
貴金属製の日常品が、使われていたと見るのが、
かなり自然なように、私には思えた。
 やはり、

食器が金銀なら、王宮の遊戯具も金銀というのは
自然

なのではないだろうか、という事になる。
 今回言いたいことは以上だが。雲南の古王国の
鉱山国家らしさは、”蛮書”の他の所にも紹介が
あるようだ。
西暦1985年に六興出版から出た、

白鳥芳郎氏の”華南文化史研究”に、南詔国軍の
”金帯の将”についての、蛮書の内容紹介

が、日本語で載っている。
 それによると、兵士を100人束ねる小隊長は、

雲南では皆、金帯を付けていた

そうである。”金カ”の入った帯は、実戦でなく
て、式典等で着用したのであろうが。隊長で無い
部下は、犀の皮の帯を付けていたと記載され、

下級兵士を表している

との旨の事らしい。
 南詔国軍が仮に全部で10万人くらいだったと
すれば、

王室は金帯を1000本用意しなければならない

という事になろう。よほどの軍功があった兵士に、
国で数十人程度の規模で、金帯帯を配布するのが
普通かと、少なくとも本ブログの管理人はイメー
ジしていたので、

これには驚いた。

雲南にはよほど”金に余裕が有った”のであろう。
 これなら、ずばりの史料が出てこないと、証明
は困難だが、常識的に見て王室で使うものは、

何もかも、つまり遊戯具も金銀なのが、雲南王室
では当たり前という感じが少なくとも私にはする。

なお、六興出版の1985年の前記著書の中で、
白鳥芳郎氏は、雲南の昆明市付近で大量に発掘さ
れた、青銅製の造形物について、あとがきで、

テン国の時代~ジャン国・六詔期の、ある程度の
巾のある成立年代を示唆する記載をしている

ようである。ここでジャン国とは、中国の六朝期
に有った、白鳥氏によれば、白族系の国家の事ら
しい。テンは漢代、六詔は隋王朝の頃だから、
おしまいの方は六詔と重なっていて、南詔国に、
玄宗皇帝の時代に、滅ぼされたという国だが、テ
ンと六詔の間の、空白期の国という事らしい。
六詔の頃にはジャン国は、大理市や昆明市よりも、
南だけを支配していたらしい。ただし、雲南の

青銅期文化が、南詔まで下るとは、白鳥氏もさす
がに言って居無い。

そもそも馬に乗った金の将は、金帯の南詔国の軍
隊の隊長とは少し違うのかもしれないが、イメー
ジでかつ、帯だけでは目立たないので、造形物で
は、全身金にして概念をデフォルメして、表現し
たものかもしれない。そしてジャン国の時代にも、
歴代の中国王朝をマネて、金帯を締めた大将軍と
いう概念は、雲南では考えられていたのかもしれ
ないように、私には思える。

だから、青銅時代にも、雲南に”金将”が居るの
であろう。

 ピュー国からインド発、ペグー等で自陣3段目
に変更された将棋が、西暦775年位に雲南に
入ってきたときに、

隊長をイメージして、王駒を金将に、大臣を、
ちょっとレベルを落として金銅製で作って、銀将
に名称変更した

のではないかと、私は想像する。
 小隊長へ、手柄を立てれば比較的容易に兵士が
なれたので、南詔王室の感覚では、3歩前進の
相手陣3段目で、金銅製駒へ交換(成り)で、
ちょうど良い感じに、8升目将棋では見えたので
あろう。

こうして、(伝)牛僧儒が玄怪録で記載した、
”宝応将棋”が、ほぼ出来上がった

のでは、やはりなかろうか。
 なお、私は前記の白鳥氏の、1985年の著書
を古本で入手した。webの情報によると、白鳥
氏はその後、”自己批判”して、

ジャン国や大理国の王を、白衣蛮と特定するのを
止め

たらしい。つまりペー族と白衣蛮(タイ系種族)
とを、西暦1990年までには、別の種族と見る
ようになったという。私の入手した白鳥氏の著書
は彼の転向前の作だったそうで、定価に比べると

激安で入手でき、ラッキー

だった。なお大理国の王の段一族が、白衣蛮だと、

日本の将棋は、”タイ人”が伝来元

になる。また当時のペーの王様が白衣蛮と別なら

日本の将棋は、”奥地の中国人”が伝来元

になると表現されるのかもしれない。なお、南詔
国の王は、今のチベット・ビルマ系のイ族である、
ロロ族である。
 現在のweb上の日本人作とみられる、著者名
記載の無い某情報(パワーポイントの断片)を読
む限り、中国の大学にも席の有った

白鳥氏の”転向”は、中国共産党の指示の疑い

が、一部で持たれているようである。つまり、
”ジャン国や大理国が、中国人の国ではなくて、
タイ人の国とは、けしからん”と言う事であろう。

個人的には、”将棋の伝来元は雲南である”と言っ
てしまえば、人種は何でも良い

感じであるが。世の中には微妙な、政治的な話が
学術世界にまで絡む事がある物だと、この話を、
聞き、妙に興味をそそられた。(2019/10/23)

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