SSブログ

モンゴルシャタルは先駆体が何で何時成立か(長さん)

以前に述べたが、本ブログでは、モンゴル
で中国シャンチーが指されないのは、中国

シャンチーの母体がイスラムシャトランジ
であり、イスラム諸国を征服した経緯が
ある事から来る誇り

の為と見ている。ではモンゴルシャタルは、
世界のどのゲームが進化したもので、かつ
成立が何時なのかを、今回は論題にする。
回答から書く。
チベットのイスラムシャトランジ時代の

チャンドラキが起源であり、
成立は西暦1450年頃と、アジアの象棋・
将棋類の中では、最も遅い

と考えられる。
 では、論を続ける。
繰り返すが、本ブログでは、星座が中国式
で、暦法が唐王朝の定朔式、従って

囲碁を良く打つ所では、イスラムシャトラ
ンジは、ブロックされるとみている。

モンゴル人民共和国(以下、区別のため、
便宜的に旧国称を使用)は、イスラムシャ
トランジが成立した頃に、古トルコ系の
突厥国が衰微して、以後、
ウイグル国→遼(=契丹)国→金王朝→
モンゴル帝国→北元国→オイラート国と、
支配が推移した。
 このうち、本ブログの認識では、西暦
750年頃に成立したウイグル国から、
西暦1400年前後に滅んだ、北元国まで、

全部、唐王朝期成立の定朔の暦を用い、
少なくともウイグル国、金、モンゴル帝国
では、囲碁を打った史料・証拠がある

と見ている。だから、

上記期間に、モンゴル人民共和国領域で、
イスラムシャトランジは、知られていても
指されない

と考える。次に、以前述べたように、中国
では、中国シャンチーが、北宋時代の末に
成立し、ジンギスカンが西域を征服している
西暦1200年の少しすぎころ、モンゴル人民
共和国領域に、自然伝来したと見られる。
たが、少なくともモンゴル帝国と、北元国
では、

自分が、イスラム帝国より上だと見ている
誇りから、イスラムシャトランジの発展形
だと、彼らが知っていた、中国シャンチー
は、意識して指さなかっただろう

というのが、本ブログの従来からの見方だ。
 だから、モンゴル人民共和国では、突厥
国同様トルコ系とのweb情報がある、
オイラート国の時代になってから始めて、
元王朝時代に授時暦を作成した、暦担当役
人が四散して、下級役人や民に対し、囲碁
を打つように、うるさく言わなくなったと
考えている。その結果、ゲームの出来に対
する鋭い目が

失われて始めて、象棋が西暦1450年過
ぎから、象棋類が侵入した

と推定するのである。そして、そのときに
モンゴル人民共和国に流入したのは、
往年のイスラム・アッバース朝時代のイス
ラムシャトランジと、実はほとんどいっしょ
だったが、チベットの宗教集団小王国から
伝来した、ラマ教文化といっしょに入って
きた、チャンドラキという名の、イスラム
シャトランジだったと見られるのである。
なお、イスラムアッバース朝のイスラムシャ
トランジと、チベットのイスラムシャトラ
ンジとでは、

駒が前者では抽象形、後者が写実的だとい
う点が、異なっているだけだった

と考えられる。そのころ、本家のイスラム
のイスラムシャトランジは、言うまでも無
く、西洋チェス化しつつあった時代である。
 その後、中国の清朝の支配下に入ると、
囲碁文化圏に再び戻り、ゲームの出来に関
する目が生じて、イスラムシャトランジか
ら、モンゴル人民共和国領内で、西洋チェ
ス化が始まったのであろう。なおこの時代
に、ヒャーシャタルも成立したという説が、
今の所、将棋史界では主流のようだ。
 つまり本ブログでは、モンゴルシャタル
はチベット伝来であり、モンゴルシャタル

遅い伝来説を取る

という事である。
 チベットのチャンドラキは、前に述べた
ように、吐蕃が衰退した10世紀に、イス
ラムシャトランジが、その地域の無政府化
した土着の民にも定着して、成立したと、
本ブログでは見る。モンゴル人民共和国へ
の流入には、それから500年も掛かった。
がそれは、日本に西暦700年から、
西暦1015年まで、将棋が立ち上がらな
かったのと、全く同じ理由、すなわち、
遼(契丹)、金、モンゴル帝国、北元が、
囲碁文化圏であったため、モンゴルでも
ゲームの性能に対する目が、昔は肥えて
いた為と見ているのである。
 以上をまとめると、アッバース朝の
イスラムシャトランジを、西暦750年
から西暦1450年まで指さず、更には
イスラムシャトランジの後継が、中国シャ
ンチーであり、イスラム諸国をかつて、
モンゴル帝国の時代に、西暦1200年
のすぎ頃征服したという誇りから、西暦
1450年までそれにも習わなかったから、
チェス類の導入はアジアで最も遅い方になっ
たで、説明可能だと、今の所本ブログでは、
見ていると言う事になるのである。
 なお、結局モンゴル人民共和国内では、
チベット、チャンドラキを導入したものの、
それから、顕著に性能の良いゲームは
作成できなかったようだ。そのため統一
化が遅れ、幾つものバージョンが存在し、

少なくとも近年迄、上記のシャタル等の、
ナショナルゲームは、西洋チェスに、
かなり押され気味の状態であった

と私は認識している。(2019/11/21)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。