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オイラート国ではシャトランジが指された根拠(長さん)

以前に述べたが、本ブログでは昔のモンゴル
人民共和国で、写実的な駒で、チベット起源
イスラムシャトランジが指されたのは、起源
が古トルコ系民族支配の、オイラート国の期
間だけであるとしている。それ以前は、

古トルコ系でなければイスラムシャトランジ
は、囲碁文化にブロックされて指されない

と仮定している事になる。ここではしかし、
本当に、古トルコ系民族なら、イスラムシャト
ランジを指すはずだという根拠が、何処にあ
るのかを今回は論題とする。答えを先に書く。

成立8世紀、サマルカンド出土駒の時代、
現地は概ねだが、西突厥国が強かったとされ
るのが根拠

である。では、論を続ける。
 定説ではサマルカンドアフラシヤブ遺跡駒
は、今の所ササン朝ペルシャ時代様式の駒と
されている。
 ソグド人所有だが、成立年より様式が古い
と、みられているからである。
 発掘した地層の時代、サマルカンドは
イスラム・アッバース朝の国境線に近い領域
だったようだ。

使った時代と、捨てた時代が数十年程度ずれ
ている

という事のようである。が、イスラム・アッ
バース朝の時代の

その数十年前の西暦725年頃に、西突厥と
唐領域へイスラムウマイヤ朝が進出した場所

が、サマルカンドなのではないかと今の所、
私は認識する。
 私は詳しくないが、その当時、今のパキス
タンに、インド亜大陸系の国だと思うが、
ラーイ朝という国があって、イスラム帝国・
ウマイヤ朝は、更にその西までだったらしい。
つまり、サマルカンド出土駒が使われた当時、
余り厳密で無くても良ければ、

そこは西突厥という、古トルコ系の国の友好
国地帯だった

のだろう。ところで、突厥、西突厥、オイラー
ト国は、私の認識では、イスラム教を絶対に
信じるとまでは行かない、

だいたい同じ、古トルコ系体質民族でいっしょ

だと考える。webのwikipediaに
は、”オイラートはモンゴル族だが、元々は
『テェルク系』だったとみられる”と書かれ
ているからである。実際、居住した場所も、
突厥国のへんが中心点のように、私には見え
る。
 だから、冒頭に述べたように、
西突厥国ではペルシャの、現在のインドの
シャトランジの類が指されたわけだから、
オイラート国は、

チベットの写実的な・イスラムシャトランジ
が指されるような、非囲碁文化圏国である

と見て、矛盾は無いのではないかと、私は思
うのである。(2019/11/24)

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