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何故沖縄に東南アジア系の古将棋が侵入できない(長さん)

以前に本ブログでは、シャンジーが沖縄に
存在する理由として、明王朝の強いテコ入れ
と、たまたま中将棋優勢の時期に入った為の、
将棋具準備の煩雑性、複雑化による習得の
困難化が原因で、中国シャンチー系が優位化
した為と説明した。これは、日本の室町時代
の事であるが、奈良時代に、沖縄に東南アジ
ア系、すなわちイスラムシャトランジが侵入
しない理由にはなっていない。日本と違って、
沖縄には麟徳暦を習得するように、下級官吏
に対して働きかける王朝が、7世紀~8世記
に存在した形跡は無い。だから、

15~16世記にあった、優勢な沖縄の囲碁
文化が、7世紀~8世記にも有ったとは考え
にくい

のである。そのため、仮に南海から、
イスラムシャトランジ系のゲームが漂着すれ
ば、日本人と違い、沖縄県の当時の人間は、

出来が悪いゲームであるのに気が付かない

はずである。にも係わらず、中国人のように、
傍観者として、イスラムシャトランジは知っ
ていても、沖縄でも受け流したように見える
のは何故なのか。イスラムシャトランジ系の
ゲームが西暦800年頃に、沖縄本島等に、
存在した形跡が無い理由が何なのかを、今回
は論題にする。回答から書く。
 アイヌ文化と同じパターンで、

文字文化が無かったので、漂着した象棋文化
は立ち消えになったと見られる。

では、論を続ける。
 本ブログでは、北海道のアイヌの間で、
平安小将棋等が定着しなかったのは、文字記
録が出来ないために、ルールが文字でしか長
い世代間では伝承力にならない、将棋文化の
長期間継続の致命傷になったと説明してきた。
 ところで、琉球文化は、12世紀まで縄文
時代にあたる、貝塚文化時代、文字の使用は、

西暦1333年のグスクの建築資材に刻まれ
た漢字が初出

であるとされている。つまり、
無文字文化が、将棋文化の継続にとって致命
傷となった、

アイヌ文化と、西暦1333年までの、沖縄
は同一条件

であるとみられる。文字が出来てからは、
日本や中国と同一状況だったとみられ、明王
朝成立により、中国の影響力の増大が、近世
の終わりまで続いた。しかし結局、中国シャ
ンチーが成立した以降の、文字文化成立だっ
たので、将棋類文化の状況は、

挙動が、第二次世界大戦までは、中国とほぼ
イコールだった

ようである。なお、明王朝のてこ入れ以後、

特に15世紀から16世紀末まで、沖縄では
囲碁文化が極めて盛んで、名人が輩出した。

平行して暦文化は中国の元、明暦がそのまま
使用される程度まで、中国天文・暦文化圏に
飲み込まれた。そして明治以後は、日本の最
終太陰太陽暦である天保暦も、今の本土より
もむしろ強く、残留しているのが現状とされ
るほどである。
 しかしながら、中国シャンチーが成立した
時代どころか、鎌倉末期の新安沖沈没船出土
駒の時代より更に遅くなって、沖縄では文字
文化が成立したため、冒頭で述べたように、

イスラムシャトランジ系の東南アジア起源の
古将棋は、長期に継続できずに残らなかった

と考えて、どうやら良さそうである。
(2019/12/23)

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