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キトラ古墳天文図の黄道、囲碁伝来は7世紀の証拠(長さん)

一般には隋王朝の西暦600年頃の国史記載
の倭国伝により、その頃日本で大いに囲碁が
盛んであったと考えられている。今回は、
星座図の遺跡として著名な、キトラ古墳の
星座絵に書き込まれた黄道の書き方から、日
本に17路碁盤時代の囲碁は無いと結論する。
 では論を開始する。キトラ古墳には、中国
星座が描かれているし、赤道も黄道も記入し
てあるとされている。このうち、赤道は西暦
700年分点程度のようである。しし座と
かに座が少し北、みずがめ座とやぎ座が少し
南に今(21世紀)より沈んでいる。問題は
黄道であり、

正しい黄道を赤道との角度、約23.4°を
変えないように注意しながら、約60°東に
移動させている

と見られている。つまり、

完全な架空の移動

である。原因は最初に答えを言ってしまうと、

歳差で春分点がズレる事を、不正確に絵描き
が理解しているから

である。本当は、言うまでも無く、黄道は、
ほとんどそのままで、

赤道の方が移動する

のである。絵描きのこの超現実的な絵を作成
した動機も私の意見を最初に書いてしまおう。

書いた太陽が、衰えつつうる秋の位置なのを、
ゴマカス為

である。キトラ古墳の星座絵を星座早見盤の
状態に準えると、書いた絵の星座早見盤状態
は、本来なら

春の宵の、観測者が南を向いた星座の姿

である。
 この形で四神を付けると、中国星座の東方、
南方、西方、北方の7座等という区分は、旨
く割り当てられるようになっているようだ。
所が、そうすると、宵であるから、太陽は西
に沈んだ所である。これは日本が、日出の国
のはずだからマズイ。そこで、しかたなく、
太陽を東(左側)へ西(右側)から移動した。
だがこれだと、秋深まる頃の、明け方の星座
の姿になってしまった。日本没落の図である。

そこで早見盤図に盛んな日本の感覚を出す為、
画面の右のおうし座の南、オリオン座π
1~6星付近に春分点が来るように、黄道を
架空移動した。

ので、キトラ古墳の星座絵の黄道の様子になっ
たのである。しかしながら、当然の事ながら、
西暦700年頃の春分点は、うお座の真ん中
位であり、おうし座とは60°ズレている。
なお秋の星座が、広めに延びて歪んでいて、
秋分点の方は80°位東にズレているようだ。
何れにしても、

そもそも、赤道を移動して合わせていないの
で、黄道がデタラメになっただけ

なのであった。キトラ古墳は、高貴な人間か、
暦編纂に絡んだ高官の墓であろうから、絵描
きが

知っててやったら、首が飛んだだろう。

しかし、絵描きは歳差で、天の赤道と黄道の
交点が移動する事を知っていても、移動する
のは黄道ではなくて主に赤道の方で有る事を、

本当に知らなかった

ので、こんな事が出来たのであろう。知らな
いと言うのは、恐ろしい事である。そして
太陽が、へび座(頭部)へ本来の、さそり座
の頭から移動し、盛夏、グレゴリオ暦8月の
頃のような、奇妙な天体図になったようであ
る。その結果、太陽の位置から月日を割り出
すという見方で見ると、太陽は立秋の、夏の
盛りの、日の出の位置に在るという

美術的な賛美性では、まあまあの構図

になっているとの、絵描きなりの主張らしい。
 ここで大切な事は、
囲碁が、こぐま座アルファー星の赤緯の85°
越えで、17路から19路になったという事
が、仮に西暦700年頃時点で著名だったら、

赤道をそのままにして、黄道を移動するとい
う間違った発想がそもそも出来ないと言う事

である。つまり、
囲碁の碁盤が17路から19路になったとい
う騒ぎは、中国の隋~唐代に、中国と周辺の
アジア大陸でだけの騒ぎであり、

日本へは、その時点で囲碁文化が、到達して
居なかったため、日本人にはその記憶が無い

と推定できるという事である。本ブログでは、
騒ぎは、東晋~唐代程度にあったと考えてい
る。つまり、

西暦600年の、隋王朝の国史に書かれた、
倭人に関する、囲碁打ちと”刺青”に関して、
日本の事では無く西南夷の文化を指している

と、かなり疑われるという事である。囲碁は
日本人は、やっと知った程度で、隋の国史が
成立した時点で、

盛んとまでは、行かなかったと疑われる

と私はキトラの星座絵が示唆していると思う。
 当然日本の暦担当者には、黄道歳差に比べ
て、赤道歳差の方が大きい事は常識で、天の
北極が移動する事も当たり前だったのだろう。
しかし日本では、

囲碁文化の当事者である、絵描きや一般大衆
にまで中国のようには広がっては居なかった。

だからこそ、キトラ古墳の天文図の絵描きは、

一般人より少し、天文に詳しいから担当した
のであろうが、歳差の理解を間違えた

のではなかろうか。
 よって以上の事から、キトラ古墳の星座絵
の奇妙な黄道線の移動は、日本人が囲碁盤の
路数の調整問題において、囲碁の伝来は従来
定説より、少し

遅い西暦600年を、少し過ぎたところである為、

もめた記憶を持つ当事者では、無かった事を、
ぼんやりとだが示唆している。以上のように、
私は考えるのである。(2020/01/22)

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