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キトラ古墳の星図は1320でなく2100年前(長さん)

以前、キトラ古墳の天文図の黄道のありえな
い回転を説明したときに、この星図は赤道の
位置から、西暦700年程度の星空の表現だ
との旨を本ブログで述べたが、これは

間違いだった。

1年ちょっと前に、星図の分点に関する解析
結果の成書が、出版されていた。
”古代の星空を読み解く”中村士、西暦20
18年、東京大学出版会である。それには、
”星図の分点の解析結果が、紀元前123年
から紀元前39年の間だ”と書いてある。平
均すると、紀元-80年だ。
問題は、本ブログが間違えた原因だが、中村
士氏の論文を私が読まなかったからではなく、

成書の星図読み取り図から、春分点と秋分点
の位置を、真面目にチェックしなかった

からである。しし座が北に、やぎ座とみずが
め座が南に寄っているので、キトラ古墳自体
の成立の西暦700年頃だろうと言ったが、

こんな雑な見方に間違いの原因が有った。

中村士氏の方法は、論文を読まなくては納得
が困難だ。が他方、前記の、中村士氏が多少
手直しした、文化庁発表の、キトラ古墳星図
の読み取り結果を記載した、複数の

成書ないしwebのサイトの同じ図で見ると、
春分点はうお座のοの西1°、
秋分点はおとめ座αの東2°に明らかにある。

ところで、日本天文学界の”観測用星図”、
恒星社、西暦1965年の黄道星図を見ると、
上記の春分点は1950年分点で、黄経26°、
秋分点は同じく1950年分点で黄経206°、
黄緯はどちらも、だいたい0°である。つま
り、問題のキトラ古墳時代は、1950年の
それに対し、

どちらもだいたい26°東にズレている。

そうなるには、26/360×25800(年)
で、約1863年かかる。西暦1950年を
基準にとると、1950-1863=87で、

西暦87年

である。つまり、中村士氏の主張する-80
年の方が、前に私が、同じデータを、ぼんや
りと見て、ここに書いた+700年よりは、

ずっと+87年に近い。

他方、中村士氏も記載する、石氏星経の、紀
元-53年頃成立とは、+87年は140年
ずれている。ので、私はキトラ古墳の星図は
ずばり、石氏星経の絵画化だとまでは、まだ、
完全には結論しない。が、本ブログに前に書
いた、キトラ古墳の天文図は、キトラの成立
時のときの星空だという見解は、

完全に間違いであり撤回する。

そして同じと見られるものを、他でも複数回
見かけている成書の、キトラ古墳の星図の読
み取り結果図を、私が良く見なかった事に対
し、皆さんに、

誠にお恥ずかしいことであり、

深くお詫びしたいと考える。(2020/01/27)

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