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長元4年7月15日の暦チョンボは暦注では無い(長さん)

以前、藤原実資の日記に天文道師の安倍時親
(晴明を初代として3代目)等がやってきて、
証昭という宿曜師と賀茂道平(保憲のひ孫)
が、どちらも新米の時代に、共同で作成した
七曜暦の、月の位置が実際には、みずがめ座
α星であるべきを、”やぎ座θ付近”と計算
間違いしたと、報告した事が書かれている旨
を述べた。長元4年、
西暦1031年7月15日月食の翌日日記、
小右記の記事である。
 日本人の計算能力が、その頃にも落ちてき
た事の証明と述べたので、七曜暦ではなくて、
元々計算が雑な宣明暦の暦注の”28宿”と、
藤原実資が、勘違いしていないかどうか、こ
んかいチェックした。その結果驚いたことに、
この場合だけ、たまたまらしいが、

宣明暦の迷信占いの暦注では、月がこの日、
みずがめ座αにあると書いてあったらしい。

だから、天下の天体暦が間違っていたのであ
り、イカガワしい、迷信の記事が合っていて、
後者を前者と取り違えたのでは無いらしい。
 では、以下に報告する。
 成書の”暦のすべて”渡邊敏夫著、雄山閣、
西暦1980年によると、宣明暦時代の、
占い暦注の”28宿”は、11世紀の当時、
次のように計算したそうである。旧暦日付で、
1月1日が必ず”室”。以下同様で、1日は、
2月が奎、3月が胃、4月が畢、5月が参、
6月が鬼、7月が張、8月が角、9月が氏、
10月が心、11月が斗、12月が虚、閏月
は、元の月と同じにする。直ぐ次に解説する
が、こうすると、閏月直前の、黄経の行きつ
戻りつが実は起こり、悩ましいが、大局的に
みて正しいとして、我慢するしか無いらしい。
なお最後の点については、改善は試みられよ
うだが、統一的な解決には、至らなかったら
しい(江戸近世暦、紀伊国屋書店、2018)。
 つまり日づけがすすむにつれて、28宿は
尤もらしく、東周りに1つづつ進む。ただし、
やぎ座β星を西端とする、牛宿(牛座)は、
インド名で、アブヒジト座になるらしいが、
削除して27星座だけ使う。恒星月が、
27.32日位なので、28よりも近い事は
近い。
 特定の星座牛宿を除いたのは、インド流で
は28宿の黄緯が、0°から、ほど遠い星座
のケースがあり、このアブヒジト座は、大き
く北にズレていたためである。何処にあるの
かと言えば、インドでは牛座は、中国流の、
やぎ座β星付近ではなくて、まぎらわしいが、

牛は牽牛でもなくて織女星の星座、こと座の
事である。

このように黄道から遠く離れていて、28宿
へ入れる事自体、怪しいから、特にこの星座
を除いたらしい。
 この宿曜経方式を、二十七宿の古式と言い、
弘法大師が、日本に伝来させたものである。
なお占い暦注の28宿類には、他に中国式が
ある。こちらは3年で、だいたい37回有る
はずの朔望月が、およそ36回にしか、なら
ないので月の視位置をぜんぜん表して居ない。
 改暦や予告しないで、両者を切り替える事
があり”暦占いは迷信だ”と主張する勢力に、
かなりの活力を与えている。宣明暦から
貞享暦に改暦したときの転換や、西暦
2020年に、神奈川県藤沢市の時宗の寺、
遊行寺発行の暦の、28宿の計算方式が急に
変わった等の例がある。なお宿曜経方式は、
10世記から江戸時代の初まで、宣明暦では、
使われていた。
 とにかくそこで、7月1日は”張”なので、
順に”日”を書くのを略すと、
2は翼、3は軫、4は角、5は亢、6は氏、
7は房、8は心、9は尾、10は蓑、
11は斗、12は女、13は帰、14は虚、
15が危となるが、危宿は、みずがめ座α星
付近であり実際の西暦1031年7月15日
の月の位置と、

何と合っていた

ようなのである。
 なお、上記の規則だが、

春分の旧暦2月15日頃に、太陽が婁(ろう)
宿にいるといっているのと、だいたい同じ

である。この星座は、おひつじ座β星付近であ
る。そこで、日本天文学界、観測用星図の
黄道星図から、おひつじ座β星の、西暦
1950年時点の黄経を求めると、32°位
になる。この事から、宿曜経方式は、

西暦-300年の頃の星空を反映している

事が判る。
 どうしてこれで、西暦1031年の星空を
計算して、月の位置について答えが合ったの
かだが。そもそも太陰太陽暦は黄経がフラつ
くし、上に述べたように近点月27.32日
の0.32日の端数の補正も不規則である。
そもそも月の運動も、単純な等速円運動が、
仮定されている。
 更には、各一日日の月が居る星座の1カ月
ごとの間隔は、相当ばらついている状態で、
ステップも26.999を27に近似した上
で、12で割った2.25に近いように、
2ずらし、だったり3ずらし、だったりする。
ので、以上の様々な効果が重なってフレが大
きくなり、歳差の誤差を相殺してしまい

たまたま、まぐれで、合っただけだった

ようである。そのため、
西暦1031年分の具注暦等の宣明暦に書い
てあったはずの、二十八宿という、迷信占い
の項目の方が、この月だけだったのかもしれ
ないが、計算の間違った、権威ある天体暦、

(七曜暦)よりも、むしろ正しかった。

以上の事が、起こっていたようである。
 つまり後一条天皇に配るのが主たる目的の、

天下の天体暦のミスが、このケースに限って
は、そのため際立って問題になった

との顛末だったとの事である。(2020/01/29)

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