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webアニメサイトに”宇都宮芳姫”氏出現(長さん)

たぶん、アニメ作家の”小山芳姫@宇都宮芳姫
は幼少芳姫?”氏と同一人物かとみられるが、
西暦2020年01月27日頃より、作者が
上記で【宇都宮芳姫さんに喋ってもらいました?】
という動画が、配信されるようになった。
 内容から、

新発見の史料は存在せず、小山芳姫(よし姫)
は、宇都宮城の宇都宮氏ないし結城氏の出自

と主張しているようだ。声は声優の藤咲あかね
氏のようだが、藤咲あかね氏は絡んでいまい。
 ところで”宇都宮芳姫氏”の主張の根拠は、

小山芳姫の亡くなった、栃木県栃木市星野町の
谷倉山から、宇都宮城と結城城が近い事

との事のようである。なお下野宇都宮氏の先祖
は藤原道兼、結城氏の先祖は藤原秀郷であり、
埼玉県久喜市の鷲宮神社の棟札とは、整合する。
 また本ブログでは、

栃木県小山市神鳥谷曲輪遺跡、裏一文字金角行
出土駒と共出土した、火鉢の破片、櫛、女物下
駄等は、小山よし姫への追悼物品を疑っている。

今回は、宇都宮芳姫氏の見解が、正しいのかど
うかを論題にする。
 結論から書く。
 今後の研究に期待したい。”小山芳姫”は、
宇都宮城ではなくて、京都市烏丸四条の宇都宮
氏下屋敷等、栃木県栃木市星野町よりはかなり
遠方の京都府から、南北朝時代に下駄を履いて、
歩いて嫁入りした、

京都府出身者の可能性も有る

と考える。つまり、

栃木県栃木市星野町からの距離は、実家の位置
の根拠にはならない

と疑う。
 では論を開始する。
 そもそも、小山よし姫または、小山芳姫が、

宇都宮・寒河尼の親戚または子孫なら、本ブロ
グにとって都合は良い

という事がある。栃木県小山市神鳥谷曲輪遺跡
の裏一文字金角行駒が、下野小山氏の代々の遺
品であって、宇都宮氏や結城氏の家宝や、持ち
物でなく、嫁入り時の持参品ではないとしても、
小山芳姫が宇都宮・寒河尼の親戚または子孫な
ら、旧姓

”宇都宮(等)芳姫”は、小山義政の時代、
嫁ぎ先の将棋具一式の管理者にうってつけだ。

なぜなら、栃木県小山市の市役所のホームペー
ジ等によると、夫の小山義政は11代目当主だ
が、初代の当主の小山政光の妻が、2代目宇都
宮氏当主の宇都宮宗綱の娘とも、3代目当主の
宇都宮朝綱の娘とも言われ、本ブログの見解で
は、結城朝光だけの母である宇都宮・寒河の尼
であるからである。
 つまり宇都宮・寒河尼は、夫の小山政光が、
京都公家の警護役(大番役)で留守のときに、
野木宮の戦いで、小山の家来を合戦で動かす、

将棋棋士の準えである合戦参謀役を、小山朝政
と宇都宮・寒河尼の二人でした

と考えるのが、自明だからである。よって、
宇都宮・寒河尼の子孫ないし、親類の娘が
小山義政の嫁の小山芳姫である場合、

宇都宮・寒河尼に準えられて、将棋具一式が、
嫁入りしてから、管理者として、嫁入り前実家
は小山では無くても、持たされる可能性が高い。

だから、小山芳姫が、宇都宮氏か結城氏か、は
たまた小田氏等である方が、そもそも本ブログ
にとっては、神鳥谷曲輪遺跡8号井戸等の
出土品パターンを、それ以外の、藤原氏子孫の
場合に比べて、説明がより容易になるのである。

小山芳姫は寒河の尼と同率だから、義政に何か
有った場合の代理として、合戦参謀あるいは
将棋の棋士のごとくに、小山氏南北朝時代家宝
の、将棋具一式を使用してもおかしくない

という事になる。よって他の女物と、角行駒が
いっしょの所有者・管理者にされた結果、共出
土しても、おかしくなくなるのである。
 なお、個人的な見解だが。網戸神社の伝説等
によれば、宇都宮・寒河の尼が亡くなってから、
網戸郷や寒河郷を、小山氏ないし長沼氏が分割
相続した形跡が無い。ので、

小山義政が宇都宮寒河尼の子孫という事は無い

と、本ブログでは独自に考えている。なお先行
研究として、江田郁夫氏の文献調査がある。
 何れにしても小山芳姫の宇都宮氏出自説には、

大賛成

したい所だ。が神鳥谷曲輪遺跡8号井戸出土の

下駄が説明できない

と思う。

だから”実家は亡くなった所から、近いだろう”

等との説には、納得できない。谷倉山の

小山よし姫の墓のある場所の地名が、寒沢

だという理屈の方がむしろわかりやすいと思う。
 沢も集まれば河になるので、寒河も寒沢も、

類似だ。

なので、小山芳姫と寒河尼が類似化して見られ、
そのような地名が、発生したのではないのか。
 それに、そもそも宇都宮・寒河尼は、京都で
源頼朝の子守女や、近衛天皇の女官をしていた
人物だ。
 だから小山芳姫の実家が、宇都宮城に有るよ
りも、京都の烏丸四条の一等地に有った、愛媛
県の知事の為と見られる、宇都宮氏下屋敷
(南北朝)から来た方が、更に都合は良い。
 なお、栃木県に居座っていて、京都には余り、
出所しなかったが、宇都宮氏の当時の当主、
宇都宮氏綱は、当時の”伊予の守”である。
 実は、小山芳姫@宇都宮芳姫は幼少芳姫?氏
は見落としたのかもしれないが、彼が調査した
とみられる、

小山芳姫の父親の、宇都宮義綱(南北朝時代)
は、宇都宮氏系図の2箇所に載っている。
エイチティティピー://keizusoko.yukihotaru.com/
keizu/fujiwara/fujiwara_hoku/fujiwara_hoku41.html

小山芳姫.gif

 上図で緑のイコールの、端の両方の赤い四角
の枠内が、”義綱”になっている。だから、
宇都宮氏系図等の宇都宮氏綱の兄弟の一人ならば、
栃木県の宇都宮城に、小山芳姫は実家が有り
そうだが。伊予や豊前に関連する、宇都宮分家
の宇都宮貞泰の次男も宇都宮義綱であり、芳姫
はその子であって、実は本ブログの私見では、
京都下屋敷の跡取りである宇都宮元綱の、姉な
いし妹である孫娘と見ている。また本ブログの
見解では、これら

2箇所記載のの宇都宮義綱は、同一人物である

と見る。なお”元綱”は、宇都宮氏綱の嫡男の、
宇都宮基綱と音がいっしょである。宇都宮氏綱
は遺言を口頭でしたのであろう。本ブログでは、
宇都宮元綱は、京都下屋敷の相続少し前まで、
宇都宮氏家と名乗っていたと今の所見ている。
何れにしても、もしそうであるなら、小山芳
(よし)姫は、不動産として価値の高い、

京都の宇都宮氏の下屋敷が、実家のはずである。

なお、web上では豊前宇都宮(城井宇都宮)
氏について、宇都宮家綱と宇都宮元綱の話が、
錯綜している。宇都宮家綱(南北朝時代)は、
2人居るという説も、九州の歴史家の間では、
特に有力と聞く。ややこしいが、更に
宇都宮家綱(足利持氏時代)という人物もおり、
”出自は不明”とされている。が以下あくまで、
本ブログの見解だが。前記、宇都宮元綱の孫程
度である疑いが有る。宇都宮等綱よりもむしろ、
嫡男流に近かったので、鎌倉公方の足利持氏に、
担ぎ出されたと言う意味である。なお塩谷綱家=
宇都宮家綱説が、web上に有る。宇都宮満綱
から塩谷綱家への血筋は遠くこの説では、足利
持氏が何を考えて、塩谷綱家を担ぎ上げたのか
が、謎として残ると私見する。
 なおweb上では、宇都宮氏綱の3人兄弟の
うち、義綱と家綱の片方が、省略されたりもし
ていて現ネット情報は複雑な様相を呈している。
以上の混乱点は、今後の研究を待ちたい所だ。
 ともかく下駄が出るし、寒河尼が、近衛天皇
の女官等をしているので、

同族だと見られた小山芳姫は、京都から輿入れ

した方が、出土事実を更に説明しやすくなると
私は見るので、冒頭の結論になるのである。
(2020/01/30)

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middrinn

「江田郁夫氏の文献調査」は江田郁夫編『中世宇都宮氏』戎光祥出版に収録されてますか?
by middrinn (2020-01-30 13:31) 

df233285

載って居ないはず。宇都宮氏の研究書は寒河尼は概ねスルー(長さん)

私が知っている限り、下野新聞のかなり前の、栃木県小山市近郊
地域版の、トピック記事だけです。小山市市民内に、古城跡の保存に
関して、保護団体が存在し、栃木県の歴史ではなくて、栃木県小山市
の歴史研究が、ピンポイントで盛んなためです。
by df233285 (2020-01-31 07:02) 

middrinn

御教示ありがとうございますm(__)m この本、先日、
朝日で記事になってたので気になってました(^_^;)
下野国はやはり小山市&小山氏なんですね( ̄◇ ̄;)
by middrinn (2020-01-31 08:32) 

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