SSブログ

なぜマークルックとシャッツロンの兵駒は貝と魚か(長さん)

 各国で主に指されている将棋・象棋駒の、
固有の駒名称について、以下に考える。
現在行き渡っている説は、木村義徳氏の、
”余り有益な情報を含まない、その地に固有
のそれだけのもの”説である。本ブログは、
日本将棋の

金将は”南詔国建国の英雄”の意味が元々

であるという説をとるから、木村義徳説には

基本的に反対

である。
 今回は、一般にはたまたま”それだけのも
の”説の、良い例とされているように、
私に感じられる、タイマークルックの貝、
カンボジアのシャッツロンの魚の、発生理由
について考える。
 回答から書く。

特産品で貨幣への兌換効果が高い、代表的な
比較的小物のイメージで、両者は決定された

と、本ブログでは考える。では、以下に論を
進める。
 本ブログでは前に、タイのマークルックの
大臣駒と象駒の、いわゆる種や根の類への置
き換えは、

金将と銀将のダミー化

だとの旨述べた。貝が金将に成って喜ぶよう
では、上位座仏教徒とは言えないという批判
を、棋士が土地の高僧から浴びたための変更
だというのが、本ブログの見方である。
 以下のように、とりあえず仮定する。

タイとカンボジアでは、タイの方が中国雲南
に近いから、問題は先に発生して、表題のよ
うに兵が貝になったりした。

 カンボジアではタイと同様、上座部仏教だ
から、信者が銭の亡者というイメージでは、
大乗仏教との対抗上、都合が悪い事には、差
がなかったとみられる。ただし、国家体制が、
タイとカンボジアでは別だから、駒の名前を
すっかり真似はできなかったのであろう。
タイ族の難民も少なかったので、大臣駒は、
金将に変化せず、持ちこたえられたようだ。
 ところで話は前後するが、タイで兵駒が貝
になったのは、上記の金銀の消失とは少し矛
盾するが、小銭なら良いという意味での

中国の影響

だと私は思う。中国の北宋・南宋代に、シャ
ンチー駒は、穴を空けられて、貨幣に準えら
れた。これも、本ブログによれば、大理国の
影響であり、将棋駒は蓄財の象徴であったた
めと考えている。それを見てタイ人は、大臣
と象という兵器系を、農業産物系の名前に変
えたマークルックでは兵駒も、食材産物に変
えた方が、つりあいが取れると考えただろう。
 貝は、中国の小銭貨幣に繋がるし、貨幣へ
の兌換効果が高い、タイ南部の特産品とみら
れたのだろう。

そこで、兵は貝がちょうど良いとタイ人の棋
士総体が判断して、そうなった

のではないのだろうか。
 そこで、元に戻るが、カンボジアでは国家
体制が別なので、貝は使いたくなく、ただし、
同じ海洋特産品で、小魚の捕獲量が多かった。
ので、シャッツロンでは、貝に変えて、魚に
したように、私には推測される。

何れにしても、国単位で指されるほど流行っ
たゲームの場合、デタラメに特定の人間が
ゲーム駒名を決めても、国中で徹底されるよ
うには、私には思えない。

だから、以上のように木村説は、時と場合で
あり、特に、広域で行われているゲームの場
合は、

成立しない疑いが濃く、駒の名前はやはり議
論する上で、大切な情報を含むのではないか。

以上のように、今の所私は考えているという
訳である。(2020/02/23)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。