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なぜシッキム囲碁盤は19路にならなかったのか(長さん)

チベットとインドの境の小国シッキム国では、
その国の伝統的な囲碁ゲームであるミマンが、
17路盤で打たれていると聞く。星の位置に
最大の特徴があり、3線目であり、インドの
現在グローバルに使用されている弧度法が、
中国式円周分割方法と異なっていた為と、
本ブログでは以前説明した。ところで、19
路盤は本ブログによると、こぐま座アルファー
星の歳差による、赤緯85°線越えで、赤緯
90°線が、少なくとも五代十国時代までに
は絶対に必要になるための、実際には隋唐代
の2線追加の結果との事であった。
 囲碁盤は中国で前漢の時代までに17路方
式が確立し、それは半天恒星図が元の意味だっ
たと考えられる。碁盤は星図を模したもので、
着目する天体位置を把握する技術と、中国の
星座方式下では考えられたために、囲碁の棋
士は準天文博士の地位が、中国歴代王朝によっ
て、与えられて保護される構造になっていた。
そのため、それを証拠付けているメルカトル
図法の星図から、碁盤の路数が乖離する事が、
棋士の側で能動的に避けられたと、本ブログ
では説明したのである。
 以上の事情は、吐蕃国でもシッキム国でも
差が無いはずなのに、なぜシッキム国では、
中国の隋唐代に起こった、囲碁盤線数の変換
が起こらなかったのかを今回は論題とする。
 最初に本ブログの見解を書く。

弧度法の赤緯90°は点なのに、線と言い包
む論理が、インド文化圏内のシッキム国では、
理解できないためである。

では、以下に説明を開始する。
 本ブログでは、古代

中国人は、囲碁盤の19線への転換の理屈が
判らない周辺民族は、迫害するのではなくて
放置する

と予測する。web上では、中国とシッキム
が交流すると

無理やり従わされる論が結構強いと認識する
が、本ブログはこれに反対する。

今述べたような中国式が理解不能だったよう
なケースは、古代中国人に言わせると、
”未開の周辺民族は、自分達よりレベルが劣
るので、理屈が判らないのである。なので、
中国人の自分達とは、利害上無関係ない事柄
なら、そのまま捨てて置けばよい。”と考え
るはずだと私は思う。繰り返すと中国人に限
らず、

利害に関係ないのに、文物習慣について苦労
して実力で、他民族を合わさせるはずは無い

と私は思うのである。だからweb上では有
力な、交流が有るなら今述べた19路盤の使
用を、周辺少数民族にも強要させる論等が、
もし有るとすれば、私はそれには反対する。

他方、シッキム国人には中国人は理解できた、
19路盤の理屈が理解できない理由が有った

という事があるとみる。それはズバリ、

弧度法では、天の極が完全に点の90°

であるからだと考える。それに対し、中国式
円弧の角度の表現方法では、天の極点は、
約91°.31408になり、90中国°は、
弧度法の約88°.7048であって、

天の極からの離角が、1°.2952程度
有った

とみられる。つまり、赤緯±90中国°は、

古代中国式では小さな円になる

のである。だから、中国弧度だと赤緯±90
中国°線は、無限に引き伸ばされた訳ではな
くなるのである。ところがシッキム国のよう
に、インド・イスラム式の、現在我々が使用
している弧度法だと、赤緯90°は完全に点
であり、メルカトル図法に直すと、点を線分
に無限に引き伸ばした事になるのである。
他方、

インドに近いシッキムでは、点は線だとい
う式の”思想”が、日本人などとは違い、
信じ込ませるのは、かなり困難だった

と考えられる。少なくともイスラム系カズニ
国に攻撃されるまで、”馬は惑星だ”という、
将棋纂図部類抄式の”思想”も、インド文化
圏には無かったと、本ブログでは推定してい
る位なのである。そのため、メルカトル図法
的な19路盤の”90°線”の意味が、今の
日本人とは異なり、シッキムでは承服できな
かったと考えられる。ので囲碁盤を19路盤
にしなかったに、違いないと私は考えるので
ある。
 なお宣明暦の使用が長かった、わが国では
当時、恒星年が、真値と僅かにズレていたの
かも知れないが。天の極は±91°.31408
の中国式に近い、何れにしても±90°より、
僅かに大きい方式を、取っていたとみられる。
 さてそもそも中国では、インド・イスラム
弧度法を使う気が余り無かったので、異国の
ゲームの盤形式は、自分達に完全に無関係と
見て、同じ物の強要には、極消極的だったの
ではなかろうか。
 以上の事から、チベット=吐蕃国と、ほぼ
同じ頃に、円周分割に関して弧度法が導入さ
れたとみられるシッキム国では、60°に円
周の1/6という意味があると見ていたため、
聖目の位置を、3線目の赤緯±60°線に4
線目から変えると共に、赤緯±90°線(弧
度法)の概念が、点を無限に引き伸ばして線
分にするという発想が、

抽象的で理解出来なかったので採用せず、
そのまま17路囲碁盤を使うようになった

と考えても、少なくとも矛盾は無いと考える。
 よって”中国の影響から弧立していたので、
今に至るまで17路盤だった”という事情は、
古代の中国や昔の日本と違い、シッキム国の
発想は、むしろ今の我々の弧度法に近かった
ので、中国19路の転換ができずに、19路
囲碁盤にしなかったという事である。なので、
中国・シッキム間の交流は、囲碁の伝播の時
代以降も有ったという立場でも、17路盤の
存在が説明できるため、太古の記録説には

大きな抜け穴が有る

のではないか。だから冒頭で結論したように、
実際には北インド等が囲碁文化の発祥の地の
可能性は残るものの。碁盤の構造が、その痕
跡の証拠とまでは確定しては、言えないので
はないか。以上のような疑いを、本ブログは
持っているという事なのである。(2020/02/28)

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