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ポーン動き古チャトランガ起源なら何故歩兵に先行(長さん)

木村義徳氏の”持駒使用の謎”の見解とは異な
り本ブログでは、インド2人制古チャトランガ
の兵は、歩兵のルールではなくて、西洋チェス
のポーンの動きだったとしている。根拠は11
世紀成立のユディヒシュティラとヴィアーサの
38条の4人制チャトランガで、”第5の王”
が、兵駒が成る事により、出来るとすれば、
相手駒を取った時に、たとえば王の前の兵が、
筋移動をしなければ、ならないはずだからで
ある。なお、欧州の研究者は、インドの2人制
古チャトランガを、西洋チェス類と見る傾向が
強いので、本ブログの見解とは一致している。
ので古チャトランガ兵、歩兵説を取るのは、私
が知っている限りは、木村義徳氏だけである。
 では木村氏も指摘するように、明らかに歩兵
よりも複雑な西洋ポーンの動きが、インドで、
たとえば6世紀に、なぜ先に発明されたのか。
”簡単なものが、複雑なものへと進化”しなかっ
たのは何故なのかを、今回は論題とする。
回答から書く。
 アリスタルコス流とみられるガリレオの慣性
の法則が、ギリシャとインドでは中世細々と、
生きていたものの、欧州、イスラム、中国では、
アリストテレス流ないしは、プトレマイオス流
の大地静止観に、大きく置き換わっていた。

つまりインド等で細々と生きていた、現代の
”慣性の法則”が、ポーンを生んだため

である。では、以下に説明を加える。

インドでは6世紀、”運動する物体にはそれ自
身にエネルギーが有る”という理屈によって
天動説をも支えていた、アリストテレスの力学
は、完全には信用されていなかった

と私には疑われる。インド人は、馬車が加速す
るときだけ力を要し、等速で動いているときに
は摩擦の分だけ、小さな力が要るという事実を、
中世も比較的正確に見ていたのだろう。だから、
一方だけが常に手番なため、走ってぶつかった
駒同士で、エネルギーを持つのは、現に走って
いる駒の方だけであるとは、思っていなかった
疑いが有ると私は思う。相対的に運動している
2物体が衝突すると、双方に破壊が起こるのが
普通だとインドでは、

正しく認識

されていたのではなかろうか。等速運動座標な
ら、その中での力学が、静止系と同じというの
が、ガリレオの相対性原理であって、地動説は、
その発見のおかげで16世紀に成立したのだが。
古代ギリシャ時代にアリスタルコスは、地動説
を唱える過程で、

ガリレオの相対性原理と実質同じものを、バビ
ロニア地方までは広めていたとみるのが自然

だと私は思う。ところでインド古代の物理学は、
バビロニア地方から伝来したものと聞いている。
インドでは、アリストテレスの力学も、アリス
タルコスの仮説古代の慣性の法則も、曖昧な形
とは言え伝わっていて、インド人の自然観察力
によって、アリスタルコスやガリレオの方が、
運動物体エネルギー内蔵説(アリストテレス型)
よりも、6世紀に支持されていたと、一応の疑
いが、持てるように思える。そのためインドで
は、中国や南詔国や日本と異なり、

衝突で、元々走っていた方が勝ち、止まってい
た方が取り払われるという、将棋のルールに
関して、走っていた方にだけ、破壊エネルギー
が有ったからではなくて、止まっている方は”
寝込みを襲われた”から、常に相手が排除され
るのだ等と解釈した

のではなかろうかと疑う。つまり、跳び越駒か、
複数升目を走って、相手駒の升目に到達する走
り駒で、相手駒を取る着手の場合には、寝込み
を襲われたので、相手が取られると考えた。だ
が、それでは王と大臣を動かしたときが、説明
できない。そこで更に、より重みのある王や
大臣が、その他の、相手駒の升目に到達したと
きには、”重い物が軽い物を排除する”という
考え方で、相手駒は取り払われると、インドで
は考えられたのではあるまいか。
 今述べたような考え方からすると、一歩前に
動くという意味で、運度しているとは言え、
軽く、時間が掛かって相手が存在に気がついて
しまう駒である兵は、一歩前に進んだだけでは、
相手駒にぶつかっても、相手駒は取れないと
考えるのが、合理的なようにも思える。インド
人は、そのため

刀のような武器で、相手駒を倒した場合だけ、
兵は相手駒が取れるというルールに、彼らの、
ガリレオ型の相対性原理・慣性の法則と、相克
の認識との組合せから、そのように決めた

のではあるまいか。むろん、アリストテレス力
学、すなわち天動説が100%支配していた、
インド以外の中世の大多数の地域では、インド
人のこの、自然観察は、じきに忘れ去られてし
まったにちがいない。
 そのため、イスラムシャトランジが、中国に
伝播して中国シャンチーになるときと、相手桂馬
の高跳びを防ぎ、かつ香車の捌きが必要なため、
ミャンマーの原始シットゥインが南詔国に伝わっ
て、宝応将棋になったときに、兵のポーン動きが、
歩兵の動きに近いものに、入れ替わってしまった。
今の所、以上のように私は推定するのである。
(2020/03/28)

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