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”アリュートチェス”は何時何処から来たのか(長さん)

アメリカ・アラスカ州のアリューシャン列島
には、シットゥインの自由配列を思わせる、
8段7筋のチェス・ゲームが存在すると言わ
れる。西暦1910年代には少なくとも存在
したようである。今回は、ではこのゲームが

何時、何処から伝来したのかを論題とする。

回答から書く。
 差別的に労働力としてアフリカから狩出さ
れて、アメリカ人として渡った黒人労働者が、
18世紀の終わりにエチオピアのセヌティジ
系のゲームを、現地に伝来させたのが、始ま
りなのではないかと推定される。
 では、論を開始する。
 一番判りやすいのは”シットゥインが伝来
した”と解釈する事だろう。しかし、そうだ
としても、19世紀終わりに、

シットゥインを知っている、エチオピアの
セヌテイジの指し手が、アメリカに渡り、
一例鉱山労働者として、アラスカにやってき
たとき、アリューシャンからの出稼ぎ島民に、
中盤局面から始めるチェスの一種である、
”アリュートチェス”を教えたのが始まり

と考えた方が、伝来者がアリューシャン列島
に居るという動機付けが、明らかに存在する
事から見て、更に尤もらしいと考えられる。
 つまり、ミャンマー人がアリューシャン列
島に居るというのは、余り尤もらしくないが、
労働者として、アフリカのエチオピア等から、
マダガスカルにかけての一帯に、元々は居た
住民が、白人に狩り出されて、アメリカ大陸
に渡ったので、アラスカ州にも19世紀終わ
りにアリュートチェスが誕生したいう方が、
より尤もらしいという事である。
 すなわち、エチオピアのセヌテイジには、
マーシャリングと言われる、中盤局面まで、
陣形を自由に整えられるルールがあり、これ
は、ミャンマーのシットゥインの初期配列と
セヌテイジのマーシャリングの後の配列とが、
類似である事を示す。そして19世紀終わり
ならば、エチオピアにミャンマーの象棋の話
が、伝わっていると推定できる。そのため、
ローカルに、エチオピアからマダガスカルの
間のアフリカのどこかに、19世紀終わりに
”アリュートチェス”が有ってもおかしくは
なく、それがアリューシャン列島に19世紀
末伝わったと考えても、余りおかしくないの
ではないかと私は思うのである。
 なお以前述べたが、マダガスカルの象棋で
ある、サマントシィでは、アリュートチェス
と同じく、ポーン駒が”子供”という名前で
ある。この点でも、アリュートチェスは、
アフリカよりの19世紀伝来ではないかと、
疑われる。
 加えて、アリュートチェスは、

西洋チェスのルールではなく象駒が、イスラ
ムシャトランジの象(跳ぶ飛龍)ではないか
と私には疑われる。

初期配列が、僧侶に関して、走りの角行動き
ではなく、跳びの飛龍の方が良いような配列
だからである。つまり、角行ルールにしては、

角道を開けにくいように、配列しているとい
う不自然さがある。

一応、初期配列と駒の動かし方ルールに関し、
将棋天国社、2000年”世界の将棋”
梅林勲・岡野伸著書の情報から推定すると、
次のようになっているようである。
 初期配列については、次の通り。
盤の升目は既に述べたが、列7列で段数8段
の56升目の変則盤である。また盤には市松
模様が有り、自陣の右下を、その駒色にして
いる。そして、問題の配列は下記の通り。
1)兵駒:子供=ポーンは、白側、黒側共に、
右袖3列は、4段目に、残りの4列は3段目
より下に配置する。シットゥインと異なり、
控えめに配置する事が許される。またポーン
は、斜め駒取りだが4列目が3段同士になる
ため、シットゥインと異なり、初期で”当り”
が無い。ゲーム盤を7列にしているのは、そ
の為とみられる。
2)王(老人)は1段目の、その駒の駒の色
の升目で、端列以外の所(3筋か5筋)に
おき、クイーンは、同じくその駒の色の升目
で2段目でかつ、王の斜め前の位置で、かつ
端列以外に配置する。
 また、城(船)は、王の隣とクイーンの隣
に配置し、王、クイーン、2つの城(船)で、
四角の配列の塊の形にしなければならない。
3)僧侶(象)は、同じ段でかつ、端列以外
に2個、横に並べて配置しなければならない。
4)2)と3)のユニットの外袖に分かれて
一つずつ、馬を配置する。馬は端列に来る事
が多いが、せいぜい2筋目に置かれる。
 次に、世界の将棋には、特に書かれていな
いが、駒の動かし方ルールは、恐らく、
大内延介氏がインドで指した、インドのシャ
トランジと同じであり、ただし、子供が、
相手陣奥で、クイーンに成ったのではないか
と、想像される。
王(老人):玉将の動き。
副官(クィーン):奔王の動き。
象:跳ぶ飛龍。
馬:八方桂
城(船):飛車
ポーン(子供):ポーンの動きだが、いつも
前1歩。相手駒を取るときだけ斜め前。相手
陣奥で、副官(女王:クィーン)成り。
キャスリング、アンパッサンは無し。ステイ
ルメイトは、負けであろう。

つまり、角道が開きにくい、象の配列だが、
跳び駒だったので、この初期配列ルールで良
かったのであろう。
 インドの現シャトランジのルールの情報が、
エチオピア~マダガスカルのどこかに伝わっ
て、アリュートチェスになり、それがアリュー
シャン列島に、比較的後の19世紀末になっ
て伝わり、20世紀の初期に、
H.J.Rマレーが調査したときには、現地
に存在が確認されたという経過なのではない
かと、私は疑っている。(2020/04/23)

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