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本郷東京大学構内加賀前田藩上屋敷跡将棋駒は2枚(長さん)

江戸時代初期のものとみられるが、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒(2003、
天童市将棋資料館)に、表題の東京都文京区
本郷にある、現東京大学(本郷)の遺跡、
加賀前田藩上屋敷跡遺跡から、王将駒が1枚
前世紀末に出土していると紹介されている。
web上に実は、発掘調査報告書が有り、
スケッチだけだが、この王将駒の他に、無地
の駒がもう一枚、同時期の発掘から出土してい
るとの旨、情報がある。
 情報源は東京大学埋蔵文化財調査室のホーム
ページにある”刊行物オンライン版”である。
ホームページのurlは、以下の通りである。

エイチティティピー://www.aru.u-tokyo.ac.jp/e-book.htm

報告書の名称は、
”東京大学埋蔵文化財調査室発掘調査報告書13”
で、”医学部付属病院入院棟A地点”。報告書
の第1分冊によると、第1区画と名づけられて
いる場所は、江戸時代初期の旧
加賀前田藩上屋敷跡であるとの旨、説明が有る。
 遺物のスケッチは、pdfファイル名で、
HWA_4a.pdf
であり、分冊の名称は”第4分冊(遺物図版)1”、
その199ページに、2枚の将棋駒のスケッチ
がある。残念ながら写真は”天童の将棋駒と
全国遺跡出土駒”に載っていたが、この報告書
では、確認できない。
 スケッチから、一枚は”天童の将棋駒と全国
遺跡出土駒”の王将のスケッチであると容易に
確定でき、残りの一枚は、

形よりも、やや大振りで有る事が目立つ。
飛車駒と見ても、矛盾は無い

ようだ。つまり、加賀前田藩江戸屋敷てでは
日本将棋が、江戸初期に指されていた事を示す
らしい。
 なお加賀前田藩と言えば、二中歴や、
将棋纂図部類抄の書写で名高い。ので、他の、
特に木製遺物の墨書をチェックしてみた。が、
良く使うような大量に有ったと推定される、
ありきたりの物が、出土しているだけと見え、
尊経閣文庫蔵の書籍の内容のヒントになりそう
なものは、今の所私には見当たらない。
 ちなみに、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒
では前田藩上屋敷の発掘が西暦2000年より、
少し前程度のイメージになっているが。
実際には、西暦1994年に行われたらしい。
なお、前記の発掘報告書が発行されたのは、
西暦2016年らしいから、はるかに後だ。
 これが公開された始めての報告書であったと
すれば、出土将棋駒の枚数はさほどではないが、
墨書史料自体は多いため、この近年発行のコン
テンツには近世日本史研究家には要再チェック
の内容が書かれているとみられる。(2020/05/29)

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