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なぜイスラムシャトランジ兵の高上がりが無い(長さん)

よく知られているように、日本将棋は歩兵
3段、西洋チェスのポーンは2段目置きで
ある。本ブログの見解では、日本将棋の
歩兵段の源は、ミャンマー・シットゥイン
の9世紀の古いバージョンにあり、パゴー・
タトンの海岸交易都市国家で、インドから
の伝来ゲーム、2人制古チャトランガの勝
負を早く付けるための、兵駒の前進が端緒
であると見ている。
 それに対し、西洋チェスがポーン2段目
配列なのは、イスラムシャトランジがそう
であるからだというのが通説である。
 さて以下は、本ブログならではの見方で
あろうが、

前記のミャンマーでの変化は、ゲームを
面白くするという観点からごく普通である

と見ている。ようするに日本がまっとうで、
西洋が特殊という意味である。つまり、
イスラム圏で中世イスラムシャトランジの

兵を高上がりさせなかった事の方が訳有り

だと、見ているのである。
 そこで、以上の立位置から出発し、では、
中世にイスラムシャトランジの兵は、なぜ
初期配列3段目置き等にならなかったのか
を今回は論題とする。回答から書く。
出版物が多数出た事によるゲームルールの
固定化や、隣接するインドで兵成りが、初
期配列対応大駒である事も影響したが、

モハメットが”イスラム帝国を作るときに、
まさに「その」シャトランジで戦術を練っ
た”という類の啓蒙が普及し、そのため、
ゲームが固定化される結果になったとみら
れる影響が最も大きい

と考える。
 では論を開始する。
 この論題は、本ブログでは過去バラバラ
かつ断片的に議論した内容である。そこで
今回は、まとめるという意味で以下論じる。
 現行のシットゥインやエチオピアのセヌ
テレジを見ても明らかだが、兵の高置きは、
序盤の駒組みを省略して、早く中盤に移行
させる効果を持っている。本ブログでは、
日本将棋の伝来ルートを、インド→ミャン
マー(パゴー・タトン)→バガン→都市国
家ピュー→中国雲南→ヴェトナムを素通り
→(中国人の船で)日本と見ている。ので、
日本の将棋はミャンマーが源流なので、兵
高配列だと言う見方となる。博打に将棋を
使うとすれば、早く勝負を付けたい訳で、
序盤の手数を少なくするために、兵を3段
置きにするというのは、

改善の動機として普通

だと考える。ただし、10世期中国雲南に
於いて、盤上に”成り金”、”と金”とし
ての金塊があるのを鑑賞して楽しみたいと
いう動機で、インド飛車動きの象は数を減
らされ、桂馬も2方向のまま固定、車も横
に走れなくなった事については、別途2番
目の理由として考慮する必要がある。
 兵駒の高上がりは、兵段で成るルールに
するとすれば、”と金”が、殺されずに増
えるという点でも好都合なので、10世期
以降の雲南から先については、ミャンマー
のパゴー・タトンでの9世紀頃の改善が、
2重の意味で継続されたのである。
 そこで話をミャンマーに戻すと、だから、

イスラムシャトランジの方が妙なのであり、
シャトランジの兵が、2段目配列でなけれ
ばいけない積極的理由は特に無い

と私は見る。線対称配列で、先手が少し有
利なら、相玉左置きに変えて、点対称にす
れば良い程度である。
 また他方、本ブログでは中国や日本で遅
くまで将棋類が無いのは、囲碁でゲームの
出来の良し悪しを良く知っていた為

”イスラムシャトランジ系ゲームは出来の
悪い物”として、中国・日本で相手にしな
かった為

と繰り返し主張してきた。以下の点も既に
述べているが、よって逆に言うと

イスラム圏でイスラムシャトランジが指さ
れたのは、創始者のモハメットゆかりのゲー
ムであるとして、尊敬されていたからだ

としか、少なくも私の感覚としては考えら
れない。
 だから、冒頭に述べた理由で、
モハメットにゆかりの、そのシャトランジ
しか、指そうとしない、宗教国家独特の空
気があったから相当長く、一定のゲームが
指されたとしか考えられない。つまり、

モハメットの指したゲームでは無いという
理由から、兵をたとえば3段目に上げたゲー
ムはイスラム圏で、中世の少なくとも
モンゴル帝国に、イスラム諸国が征服され
る前までは、あまり指される社会的雰囲気
が無かった

と私が見ているという事である。

西洋チェスは、そのイスラムシャトランジ
の痕跡を残しているから、つまりポーンは
2段目にあるのではないか

と特殊視するのが、本ブログ独自の見方で
ある。
 なお、イスラムシャトランジの高段者が、
執筆した啓蒙書を多数出して、8~9世紀
のその時代にゲーム自体を普及した事も、
増川宏一氏の著書、ものと人間の文化史
110、チェスに詳しい。日本でも江戸時
代以降は、多数の啓蒙書および、将棋家元
制度の普及で、日本将棋のルールの変化は、
それ以前に比べてかなりゆっくりになって
いる。このような同じ理屈の効果も働いた
のだろう。ようするにゲーマーが増えると、
ルールをどんどん変えにくくなるのは、自
明と見られるという事である。
 それに加えて、かなり後まで、イスラム
の国と、東南アジアの間には、敵陣最奥で、
初期配列駒に成るインドの将棋圏が存在し
ていた。相手陣奥で、強駒に成る場合、兵
は下段に後退させて、攻撃力を調整する必
要があるとみられる。こうした国が間に居
た点でも、イスラムシャトランジの、兵の
初期配列での高上がりの、結果としてそう
させる進化の妨害原因の一つになったので
あろう。
 なお、イスラムシャトランジが西洋に伝
来して、西洋チェスとなったとき、クイー
ンやビショップという、斜め走りを含む駒
が増加した。その結果、ポーンが3段目で
は、斜め走り駒を出すための、道開けの着
手をすると、相手兵との間に、兵同士の
”ぶつかりすぎ”の感覚も生じた。そのた
め、西洋チェスとなって斜め走り駒が増え
ると、兵は上がるのではなくて、第1手目
には1歩でも2歩でも良いと、ルール調節
される結果になった。こうして西洋チェス
では、駒の働きの強化が起こると同時に、
兵の高上げ配列は根拠を希薄にして、東洋
のゲームとは異なり、兵は2段目に据え置
かれるようになったと考えられるのである。
(2020/08/28)

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