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カナウジ時代インドチャトランガ駒形はどんなか(長さん)

チェス・将棋・シャンチーその他すべての
将棋・象棋・チェスゲームの祖であるインド
チャトランガには、インドからペルシャへ
伝来した時代の駒形が、同形で大きさの差だ
けだという点が、数少ない史料に基づく通説
として現在普及している。しかし、この説は、
人間の記憶の仕組みからみて、駒形を

記憶しゲームそのものを把握する事が困難で
あり、いっけんして変

である事は明らかである。今回は、たくさん
のチャトランガ棋士を養成するには当然必要
と考えられる、駒の固定をどうしていたのか
を論題とする。回答から書く。
 ペルシャ王宮への寄贈品が、たまたまの大
きさの差による、駒の区別だっただけである。
実際には、カナウジ時代のチャトランガは、
ヘビープレーヤーや上級者の間では、

その駒の由来元ゲームで駒種が記憶されてお
り、かなりの種類のボードゲームが並存する、
ゲーム天国の街ならではの、やりかただった

と考えられる。では、論を開始する。
 通説を疑うのは、特定のコマセットだけで、
何万、何億のすべてのプレーヤーが指すなら
別であるが、相似であって合同ではない、
所有者が異なる別ゲームセットに交換しても、
特定の駒種が、複数の遊戯場でチャトランガ
を指す、熱心なプレーヤーに認識出来る理由
を説明できないという点である。つまり、

全体として大きさが変わると、同一の大きさ・
形の駒同士が、Aゲームセットでは馬に、
Bゲームセットでは象にと、別々の駒種を表
している事になってしまう

からである。
 さて今回の考察では、増川宏一氏の前世紀
の研究がよく知られる。競争ゲームが先行し
ており、それがダイスを使う、
四人制チャトランガに進化したのだろうとい
う仮説である。しかし、この論では、

王、大臣、象、馬、車、兵という、多種類の
駒が何処から来たのかを特に説明していない。

たとえば競争ゲームは、単に双六駒型で模様
ないし色の違う、一例円筒形駒を2個用意す
れば良いだけである。なお、戦争ゲームでも、
挟み将棋型のゲームは、駒は盤列数だけ要る
が、種類は2種類だけで足り、碁石で代用で
きる2色の駒群が必要なだけだ。

 多種類駒使用の戦争ゲーム駒の起源論は、
明確な物が無い

と、見て良いように私は思う。
 本ブログでは、現在広く行き渡っているよ
うに、インド二人制古チャトランガは、実際
の戦争のシミュレーション・ゲーム(合戦を
模したもの)として、インドで数世紀に成立
したとの説を取る。さらに踏み込んで、最初
期の駒は、

戦争で参謀が実務で実際に使っていたものを、
流用したもの

と考えている。問題は、そうだとすれば、
チャトランガは、単に古代インド軍の内部の、
不良兵士が暇つぶしに指して、じきに消滅の
運命になったはずだと言う点である。だから、
実際にはマニアが、別のゲームの駒を組合わ
せて、8×8升目盤(アシュタパタ)で、チ
ャトランガをカナウジで数世紀に指したから、
ゲームは継続したと見るのが、自然なのでは
ないかと、私は考えたのである。
 例えば挟み将棋が日本将棋から、特に生ま
れたものではないように、その別のゲームは、
軍の内部で、作戦用の道具をくすねて遊ぶと
いう事で発生したチャトランガとは、ゲーム
内容としては、無関係で良いのだろう。だか
ら、駒は戦争ゲームでなくても、元々包囲ゲー
ム用のものでも、競争ゲーム用のものでも、
特に問題はなく、ただし、

幾つかのゲームの駒を、方々から集めて来る
必要が有った

と見るのである。そして仮に、インドの古代
都市

カナウジが、いろいろなボードゲームの天国
のような街であったとしたら、それは容易

であったはずである。つまり各駒は、それぞ
れが別々のゲームでは、よく知られていれば、
あのゲームのあの駒が象で、このゲームのこ
の駒が馬だというふうに決まってしまうので、
所有者が別々のゲーム具でも、それで初めて
ゲームをするインド・チャトランガの上級者
には、直ぐに使えた。そのためチャトランガ
自体が、そうしてほうぼうで指す、マニアで
かつ、概ね上級者の普及の努力によって益々、
カナウジ市中に広がっていっただろうと、推
定出来るという事である。
 実際にそうした中でインドから、ペルシャ
の王室にチャトランガを紹介する際には、あ
りあわせの駒セットを贈るわけにも行かず、
他方ベルシャの王室内部でだけ、駒毎の区別
が出来れば良いと考えて、大きさの違う宝玉
で、駒種類を区別する方式にして、たまたま
贈っただけだったのではなかろうか。
 そして更に、チャトランガが流行ると、遂
にはその駒を作る専門の職人(駒師)が、仕
事として成り立つので現われた。そうして、
現在出土する、テラコッタ型の駒を、インド
チャトランガ専用に作るようになったのでは
ないか。つまりまとめると、数世紀にインド
のカナウジ市に、チャトランガが成立した際、
盤はアシュタパタを使い続けたとしても、
その将棋駒は、
Ⅰ:軍上層部参謀の作戦用の模型ピース→
Ⅱ:当時既存の別のボードゲーム用駒の流用→
Ⅲ:インドチャトランガ専用テラコッタ駒
の成立→イスラムシャトランジ駒等への進化。
以上のような段階を踏んで、普及したのでは
ないか。目下の所、以上のように私は、将棋
型ゲームの道具としての変化の道筋について
は、考えているのである。(2020/09/24)

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