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藤原道長日記1015年4月10日御覧のみ(長さん)

以前に藤原道長は、孔雀と、
(仮説)原始平安小将棋具を一族で入手し
たとしたら、北宋百科辞典の太平御覧にて、
両方について、内容確認するだろうとの旨
の推測をした。しかし実際としてはその時、
講談社の藤原道長御堂関白記(2009)
から、”個別、孔雀に関しては御堂関白記
にあるように百科辞典の『修文殿御覧』に
て確認した”という証拠しか無いと、私は
以前は認識していた。
 しかし、それは

誤りだ。

御堂関白記の原文に”修文殿”が

抜けている

のを、次の書籍で発見した。
藤原道長「御堂関白記」を読む、倉本一宏
著、講談社選書メチエ(2013)。
 古文書の写真が今述べた書には掲載され、

”御覧”としか、書いてない。だから、ど
ちらとも取れると見られる。

以上が結論だが、以下に説明を加える。
 講談社選書メチエ(2013)の方には、
170ページ付近に、倉本一宏氏の解説が
ある。それによると藤原道長の御堂関白記
の西暦1010年8月29日の所に、書物
を収集した旨と、その中のリストに、
修文殿御覧が入っているとの旨記載がある。
つまり倉本氏は、藤原道長が西暦1015
年4月10日には、

わざわざ、他人や他所の百科辞典を見には
行かないだろうと、仮定している

と取れる。
 そこで講談社の藤原道長御堂関白記”中”
(2009)の中身を見ると、6種類の書
籍の名前が羅列されていて、その一つに、
”修文殿御覧”が、確かに入っている。
 以上の事から、確かに御覧は修文殿御覧
の事を指している確率が、高いと私も見る。
 しかしながら、

将棋具や孔雀に接したときに、藤原道長が
どの御覧で調べたのかについては、厳密に
は確定しない

と、私には確認された。つまり、藤原道長
の居所に太平御覧が無くても、大内裏や、
たとえば火事対応で臨時の、別の場所に
太平御覧が有れば、たまたまそれで”孔雀”
を調べてみる可能性も、無いとは言えない
と言う事だと私は考えている。(2020/10/26)

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middrinn

寛弘7年(1010年)8月29日条を「摂関期古記録データベース」で確認すると、
「二十九日、乙亥。雨下る。相撲の召合より晴るる日、少なきなり。事の愁へ、
甚だ多し。触穢に依りて、指せる御祈り無し。棚の厨子二双を作る。傍らに立て、
文書を置く。『三史』『八代史』『文選』『文集』『御覧』道々の書・『日本紀』
の具書等、令・律・式等を具ふ。并せて二千余巻。」であって、やはり『修文殿』
という言葉は無いんですよね(@_@;) この条を倉本一宏が訳した時に『修文殿』
と補ったことには根拠があるのか、その選書メチエの解説だと無さそう(@_@;)
by middrinn (2020-10-26 18:50) 

df233285

middrinn様情報どうもありがとうございます。そこまで来ると、私には
完全にお手上げです。(長)
by df233285 (2020-10-26 18:57) 

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