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青森県弘前市寺沢遺跡で将棋駒出土(長さん)

なんと前世紀の終了時点で、日本国内の出土
将棋駒の北限は、岩手県や秋田県ではなく、
青森県だったようだ。
 奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
の”全国遺跡報告総覧”に、弘前市教育委員会
編集の、2000『中野(2)・中野(1)・
寺沢遺跡発掘調査報告書』が、文献名だけ掲載
されている。そして発掘報告書データベースの
定型方式のフォーム中に、”主な出土遺物”の
項目があり、

青森県の寺沢遺跡より近世成立の将棋駒が出土

との旨記載が有る。なお遺跡の場所は、青森県
弘前市大字清水富田字寺沢だそうだ。
 そしてこれが、私の知る限り

出土駒の北限のレコードである事は、言うまで
も無い。

 ただし、日本将棋の広がりが近世に、青森県
弘前市までだったというのは明らかに不自然だ。
 つまり例えば江戸時代発行の、将棋駒絵の有
る南部盲経が、弘前市よりも緯度の高い地点で
見つかっていると、これに抜かれる事も、確か
ではある。
 なお報告書によると、この発掘の目的は、
”県営長坂地区農免農道整備に伴う発掘調査”
との事である。残念ながら、pdfファイルで
web上にコンテンツが出ていないので、それ
以上詳しい事は、私には判らない。
 前世紀の出土とすれば、天童の将棋駒と
全国遺跡出土駒に載っていてもおかしくなかっ
たはずだが。たまたま当時は、研究者に見落と
されていたのだろう。
 近世の成立とすれば、特に目新しい情報では
無い。むしろ江戸時代、南部藩よりも更に北の、
たとえば北海道の道南、松前藩領内でも、将棋
が指された証拠が、恐らく出ているだろうと見
るべきだろう。(2020/11/22)

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