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仲人、中人についての調査(長さん)

以前述べたように茨城県石岡市の遺跡で、平安時代
に成立とみられる仲人の墨書土器が出土した。その
為、平安時代に仲人が知れ渡っていないために、
平安大将棋の注人は仲人では無いという論理が成り
立たなくなった。そこで今回は、平安大将棋で、ど
うして仲人が使われなかったのかを、仲人、中人の、
古代の官職名等を捜索する事によって、解明を試み
た。wikipediaの奴婢の項に、9世紀には、
日本でも言葉として生きていた、応用工学等の学者
を意味する中人が、平安大将棋の作者には判ってい
た為ではないかと推定された。
 wikipediaの奴婢の項の、冒頭の説明に、
朝鮮半島での、日本の古代~前期中世に当る、
高麗時代の、身分制度についての記載がある。
それによると、朝鮮半島では身分階級が、
両班、中人、常民、奴婢になっていて、冒頭で述べ
たように、実学の学者等を、貴族と一般民との間に
置いているとある。
 以上の事から、仲人が中人と同義と仮に見られた
とすると、

平安大将棋で、最前列の危険な位置に、工学研究者
等を置くのは、異形であって適切とは考えられない。

他方、スパイという意味の注人は知られていたから、
そちらを、当然のように使用したのかもしれない。
 以上のように平安大将棋は、朝鮮半島の用語での
中人の意味を知っているような、知識を持った階層
がゲームデザイナーであると仮に見れば、中人・仲
人の意味を知っていたデザイナーにとっては将棋の
初期配列の最前列に持ってくる駒名として、最初か
ら工学者・実学の学者という意味での仲人や中人な
ど、意識の対象外だったと見るのが妥当だと、一応
は考えられるであろう。
 よって、仲人の意味が9世紀は外来語、、中世鎌
倉中期には争議の調停者と言うように、意味が、
たまたま大きく違って来ていたから、平安大将棋で
は12世紀初の知識人デザイナーの創作だった為に、
その記憶が残っていたので、たまたま使わなかった
と、一応は言えそうである。
 もっと調べれば幾つかの理由の、足し合わせと言
う事に、あるいはなるのかもしれない。しかし、
大方は、争議調停者という意味が、古代の日本に、
仲人の意味として、余り使われなかったからだろう
とは、推定できるような気がした。(2021/01/05)

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