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奈良平城京出土の西暦768年”角行”似の木簡(長さん)

奈良文化財研究所が2007年11月に発行
した、平城京木簡の写真・釈文を載せた出土
木簡の概要報告書に、西大寺跡の井戸跡で発
掘された、井戸枠の板に、”角行”と読める
字が含まれるのに、本ブログの管理人が気が
付いた。ただし、角は西南角(せいなんかど)
の文節の一部を構成すると見られ、

将棋駒種の角行が、表題に書いた西暦768
年時点で、成立していた可能性は、ほぼ無い。

この情報の源は、本ブログで何回も紹介した、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に掲載されている。pdf
ファイル名は、以下の通りである。
15061_1_平城宮発掘調査出土木簡概報.pdf

pdfファイル名にも付けられた、この”概
報”の文献上の表題は、以下の通りである。
”平城宮発掘調査出土木簡概報(28)
付「平城宮木簡一」補訂4”
奈良文化財研究所、西暦2007年11月

その中に、木簡がナンバリングされて写真と、
釈文が掲載されている。今回紹介するのは、
その中で95番とナンバリングされた木簡で
あり、西大寺跡の発掘作業中2006年に、
井戸跡にて、発掘されたという事である。
説明文によると、井戸枠の板の一部のようで
ある。木簡というよりは、墨書の有る木製品
という事か。

平城宮角行.gif

 釈文が同じ文献の20ページに載っていて、
それによると、前記の図の文字は、以下のよ
うに読まれているようだ。
”西南角楼 西大寺口名”
楼は?が付いている。私も≪不明≫が正確だ
と思うが、

”行”にも見える。

他の共出土した木簡に年号の有るものがあり、
同報告書によると西暦768年かその前年の
奈良時代後期に書かれた(成立した)ものと
されているようだ。
 角行には見えるが、南西角で文節が区切ら
れると見るのが自然だろう。

残念ながら、奈良時代後期に、日本将棋が存
在した事を、示唆する物でない事はほぼ確実

のように私には思える。
 それにしても”西南”の西が擦れていたの
で、角行と、どうしても読めてしまう、迷惑
だが、夢とロマンの有る遺物だ。
 なおこの文献に付「平城宮木簡一」補訂4
と書いてある通り、釈文だけ紹介された木簡
があり、その中に、以前本ブログでも紹介し
た、旧大乗院庭園、当時の飛鳥小学校跡の池
の中から発掘された明治時代成立とみられる、
軍人将棋改造将棋駒の釈文が、たまたまだと
見られるが載っていた。(2021/01/11)

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