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多賀城遺跡から~大将棊~百三十八名~五斗木簡出土(長さん)

西暦1300年前後成立の普通唱導集大将棋は、
130枚制の後期大将棋ではなくて、具体的に

本ブログに於いてだけ、特定の108枚制の
将棋である

と西暦2017年の、第二期電王戦第2局の
直前に主張されている。今回は、

≪”大将棋は百八枚である”と書した出土木簡≫
と、紛らわしい遺物

が、西暦1982年頃に、宮城県多賀城市の
多賀城跡遺跡から出土しているので紹介する。
出典は、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に掲載されていて、web
上で確認出来る。pdfファイル名は、以下の
通りである。
61714_1_多賀城跡.pdf
そこの、後ろの方のページ、図版9の下の、
3とナンバリングされた遺物に以下の図のよう
に書いてある。なお遺物は木製の板状の物品で
木簡にも見えるようである。

大口百八木製品.gif

発掘報告書の表題は、次の通り。
宮城県多賀城跡調査研究所年報1982
多賀城跡、宮城県多賀城跡調査研究所
(1983.3)
当時発掘後半年後に、調査報告書が出されたよ
うであり、私が知る限り相当に作業が速い。

 成立年代が、遅くて9世紀初であるとされ、
平安時代草創期なので、西暦1300年の将棋
のルールが書いてあるとは考えにくい。

そもそも、京都や鎌倉から離れた宮城県の城で
発見されるというのも、やや不思議だ。なお報
告者は、以下のように釈文している。
口・・・・・口
百(空き)丗八石
口口口五斗
本ブログの管理人には以下のように見えている。
~大将口
百(空き)Ⅲ八名
口口口口口
ただし将棋の”棋”は有るかどうか謎。大も小
さすぎである。報告書に丗等で書かれている部
分は不明確であるという意見に、私も賛同する。

つまり”大将棋の駒名は、この木簡が成立した
時点で108枚制である”とも取れると言う事

である。
 それに対し発掘者は、多賀城で調達した食料
の量を示す、城を維持するための、事務記録の
木簡だと、見ているようである。ただし、三行
目に5斗と書いてあると言う意見には、不明確
すぎて、個人的には納得できないが。結論とし
て冒頭に示唆したように、

一般論として、発掘報告書の推定内容は常識的

だと私も、しぶしぶなから納得できる。
 この木簡は、偶然の産物だったと思われるが、
本ブログで探し回っている遺物が、内容として
具体的に

どういうもので、あるべきなのかをよく示して
くれた

ように思われた。(2021/01/12)

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