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石名田木舟(B2)遺跡の王は聞香札(長さん)

一文字王の出土駒として、滋賀里遺跡の王将駒の
裏文字、石名田木舟(SK・SD)遺跡の王駒、
石名田木舟(SB)遺跡の一文字王(へん)駒が
有名で、前2者は確かに一文字王と書いてある。
しかしながら、3番目の出土遺物に関する遺跡

発掘報告書によると3番目の出土遺物は、聞香札

と本文中で説明されているようである。
3番目の遺物は『天童の将棋駒と全国遺跡出土駒』、
西暦2003年、山形県天童市の天童将棋資料館
の43ページの右下の遺跡番号38に、改造金将
駒と共にスケッチが載っている。残念ながら、
天童市将棋資料館本に

写真が無い。

しかるに最近本ブログの管理人は、web上で、
この遺物の写真のありかを発見した。場所は、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている、元々の遺跡
発掘報告書である。この遺跡発掘書の表題は、以
下の通りである。
富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告
第14集”石名田木舟遺跡発掘調査報告”
能越自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘報告Ⅲ
第二分冊中世以降編、2002年、財団法人
富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所。
 これは発掘者そのものが作成したのコンテンツ
であり、そこの図版158の中段左に、裏表共に
写真が掲載されている。

石名田木舟聞香.gif

 基本的に、スケッチとの間に矛盾は無いが、
王の十字の部分の-がボヤケており、又丨が細く、

見ようによっては二と書いてあるようにも見える。

この写真を含むweb公開コンテンツのpdfファ
イル名は、以下の通り。
5597_13_石名田木舟遺跡発掘調査報告.pdf
 他方、問題にしている遺物が”将棋駒では無く
て、聞香札”だという旨は、前記発掘報告書の、
225ページの、上から6行目に記載されている。
その記載の有るpdfファイルは、データベース
に登録される際に、分割されてしまっており、以
下のpdfファイル名の、ファイルの中にある。
5597_4_石名田木舟遺跡発掘調査報告.pdf
 下辺が長くなっているのが聞香札に必要な機能
とは考えられないので、発掘報告書の解釈には疑
問が無いとは言えないが。仮に発掘報告者が”こ
の遺物が聞香札だ”と強調したいのならば、書い
てある文字は、”王”と解釈できるばかりではな
く、”二”かもしれないと指摘した上で、

それならスケッチで王の縦棒を少し細く書くべき

だったのではないかと、私は思っている。ともあ
れこれは平安小将棋に仕掛け局面での旦代の難点
(旦代問題)があった為に、草戸千軒遺跡の紹介
の時に述べたように、平安小将棋持駒タイプのゲー
ムよりも、室町時代の初め頃には聞香の方が流行っ
ていたという説にとっては、有利になる事実の一
つとみられる。(2021/01/21)

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