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茨城県つくば市の島名熊の山遺跡の夜象墨書土器(長さん)

以下、奈良時代から平安時代初に成立と
みられる、茨城県の集落遺跡の墨書土器
の話題である。夜家という棟用の物品を
表しているとみられるが、

夜象とも読める。

共出土物に、奎ヵ房という”字地名”を
示したとみられる土器が有り、未知の、
日本の駒数多数将棋の存在は示唆しない
と見られる。
では説明を開始する。
 この情報もweb上で公開されている。
奈良文化財研究所の発掘報告書データベー
ス、全国遺跡報告総覧に登録されている
からである。報告書の表題は以下の通り
である。
茨城県教育財団文化財調査報告第360集
島名熊の山遺跡、西暦2012年、
茨城県・財団法人茨城県教育財団。
pdfファイル名は、以下の通りである。
10716_1_島名熊の山遺跡.pdf
 この発掘報告書には、問題の遺物のス
ケッチが載っているとみられるが、残念
ながら、写真が見当たらない。
 スケッチが書いてあるのは、今述べた
発掘報告書の250ページの中段右側で、
390番と、ナンバリングされている遺
物で土器である。皿の底の裏側に、墨書
が有るというものである。なお、このと
きの発掘では、この遺物が出土した井戸
跡以外では墨書遺物は、見いだせなかっ
たとの旨が同発掘報告書には書いてある。
井戸跡の番号は、第148号井戸跡と、
ナンバリングされている。なお図版番号
は220。
 墨書土器は他に、図版220~1に、
遺物番号で388番が”川”、391番
が”川”、393番が”奎ヵ房(ただし
発掘報告書の奎の字は、圭が土になって
いる)”、395番”南”、400番が
”玉”、404番”寺”、407番”土”
等があるようである。読みについては、
報告書の前段、第3ページに示唆がある。
 夜象の字は、遺物の写真ではなくて、
スケッチなので不確定性が大きいが、
夜でイが、部首のなべぶた冠から突き出
た第1文字に、マイクロソフトのime
パッドで手書きをしてチェックすると、
”家”と”象”とが、候補の1位と2位
に出る第2文字の組合せが書かれている。

 つまり”夜家”か”夜象”の何れか

であると見られる。前記発掘報告書の3
ページに口家と、報告者が読んだ旨が記
載されている。報告書の見解は取らずに

夜象ならば、将棋駒の名称にも見える。

暗闇で敵の戦象が暴れたら、怖いだろう
から、恐モテのする名詞という事になり、
将棋駒名としての適性を持つからである。
 しかしながらこのケースは、共出土駒
に”奎ヵ房”という、地名に見える墨書
土器が出土してしまっている。

奎は”二又の”の意味であるから、夜家
と昼家があって、土器がそれぞれ用に、
別々に有る

と言う解釈の方が、戦象が古代につくば
市に2頭居るというのよりは、現実実が
ずっと有る。”川”という墨書土器も有
るので、奎ヵ房には古代、小川も流れて
いたのであろう。

発掘報告書から類推される、棟名であり、
”夜家用の土器”の意図であるとの解釈
で、残念だが正しい

のではないだろうか。

夜象という駒名の将棋駒は、これから作
成する駒数多数将棋の駒名の一つに加え
るのも良い

とは思われるが。今回紹介した遺物が、
夜象の駒を含んだ将棋種の、平安時代初
の存在を示唆している可能性は、相当に
薄いと私には思えた。(2021/01/22)

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