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山梨県甲府朝気、地蔵北遺跡から3個角行遺物(長さん)

今回は、奈良文化財研究所発掘報告書データ
ベース、全国遺跡報告総覧に登録された同一
遺跡発掘報告書の中に、

3箇所、角行の文字書のある出土遺物が有る

という不思議な話題である。

このうち成立年代古墳時代後期の甕は角だけ、
戦国時代成立の土器と石碑は将棋影響の疑い

がある。なお、同じ甲府市内の城下町遺跡で、
江戸時代の中将棋駒や、近世の五角形角行木
製駒が発掘されている旨の話題を、以前本ブ
ログではしている。
 発掘報告書のpdfファイル名は、以下の
通りである。
6535_1_甲府市内遺跡VI.pdf
 報告書の表題は、以下の通り。
甲府市文化財調査報告41、甲府市内遺跡Ⅵ
西暦2001~2002年度試掘調査報告書、
甲府市教育委員会、2009。
遺跡の名称は以下の通り。
(1)甲府朝気遺跡。(土器・甕)
(2)甲府地蔵北遺跡。(土器片)
(3)甲府地蔵北遺跡。(立方体の石)
成立年代は、浅気遺跡の(1)については、
朝気一丁目501番他の浅気遺跡(13-5)
として、古墳時代後期との旨の説明が、発掘
報告書に有る。
(2)については東光寺三丁目1743-1
の地蔵北遺跡(13-18)として、16世
紀の戦国時代成立、
(3)については東光寺三丁目1743-8
に地蔵北遺跡(14-24)として、15世
紀後半から16世紀前半の戦国時代成立。
以上の旨の説明が、それぞれ本文中にあると、
認識している。
 何れも甲府城下町遺跡とは、さほど離れて
いない場所のようである。
(1)は下記のような遺物である。

甲府朝気角行.gif

(2)は下記のような遺物である。

甲府地蔵北13_18.gif

(3)は下記のような遺物である。

甲府地蔵北14_24.gif

何れも、余り明確なものではない。発掘報告
書には、3個とも墨書遺物との指摘が無い。
あくまで本ブログで、発掘報告書を見て、見
出したものである。
 このうち、

(1)は古墳時代な為、角行が成立している
と大問題

になる。が、行の字がズレている上に、甕が
割れていて、2文字目のように見える部分は、
ほんの一部だけであり明確ではない。今の所

(1)については、角という一文字の墨書遺
物であり、将棋と関連しない

と本ブログでは見る。
 それに対して残りの2つについては、日本
将棋が成立した頃な為、

(2)・(3)については将棋の角行駒の影
響で作られた墨書遺物であっても矛盾は無い

と本ブログでは見る。元々寺の境内内のよう
であり、将棋は甲府市内では、戦国時代から
指されていたのであろう。

土器や石片に記載した内容は”悪行を重ねた
者も、念仏で成仏する”といった意味であり、
行がジグザグ、角ばって居る者との意味

ではなかろうか。それと既存の角行とをひっ
かけたとしても、さほどおかしくはないのか
もしれない。
 これらのケースは、日本将棋が指されてい
た頃に、将棋駒が出土する地帯での駒字遺物
の出土なので。将棋駒名が書かれた墨書遺物
が複数出土しても、大きな矛盾は、特に起こ
らないと私は考える。(2021/02/18)

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