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佐賀県唐津市中原遺跡から仲人墨書粗製器台土器(長さん)

以下成立年代が古墳時代の、仲人と記載された
墨書土器出土の話題である。場所は、佐賀県
唐津市原の中原遺跡。発掘調査は西暦2000
年前後に、行われたようである。
 遺物の写真が掲載された発掘報告書はweb
上に公開されており、奈良文化財研究所
発掘報告書データベース、全国遺跡報告総覧
に登録されている。pdfファイル名は、以下
の通りである。
18506_2_中原遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通り。
佐賀県文化財調査報告書第199集、中原遺跡
Ⅶ、佐賀県教育委員会、2013年3月。
 そこの、図(PL)84竪穴住居跡出土土器
23の右下の馬蹄形の粗製台土器が表題の遺物
であり、遺物番号163-1と命名されている。
西暦1999年12月7日に出土したとの旨の
注釈説明がある。

佐賀県中原仲人.gif

墨は薄いがバランスら”仲人”のようであり、
但し仲のニンベンがはっきりしない。発掘報告
書の第1pdf、18506_1_中原遺跡.pdf
の冒頭部分26ページに”中原遺跡が官衙的
遺跡で、弥生時代から古墳時代のもの”とあり、
この遺物の成立年代は、古墳時代以前と考える
のが妥当なようだ。なお、この遺物に関して、
発掘報告書には、墨書が有るとの指摘は無い。
 以前に茨城県石岡市鹿ノ子で、同様に字の存
在のはっきりしない古代成立の、仲人土器が出
土している事について、本ブログでは紹介した。
その際にも正確には中人であって、技術者・
スペシャリストの階層の意味であろうと考察し、
更に述べた。
 九州の唐津地方では、この言葉の成立は更に
早く、文字通り巨大施設建設の時代、古墳時代
には有ったという事になる。土器の文字の意味
は、高度な技能を持つ技術者の意味で、恐らく
良いのであろう。
 中世の、イザコザの調停役の仲人とは全く別
の意味なので、将棋の駒名とは関連性が、この
ケースも無いのであろう。古墳時代に、日本に
将棋が有ったという証拠には、この史料はなら
ないと私は考える。(2021/02/20)

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