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長野県佐久市円正坊遺跡から経石状金将文字遺物(長さん)

以下、石に2文字の経文を書いたような形の、
金将と書かれている疑いの有る石の遺跡から
の出土の話題である。場所は表題のように、
長野県佐久市岩村田の円正坊遺跡で遺物の成
立年代は、建屋のそれから

古墳時代と見られている。

西暦1999年頃の現地の発掘作業で、出土
したらしい。文字が書かれているとの指摘は、
発掘報告書には無く、

自然の模様の疑いが有る。

報告書は、奈良文化財研究所発掘報告書デー
タベース、全国遺跡報告総覧に登録されてい
て、写真の出ているpdfファイルは、以下
の通りである。
939_5_枇杷坂遺跡群円正坊遺跡IV.pdf
報告書の表題は以下の通り。
佐久市埋蔵文化財調査報告書第102集
枇杷坂遺跡群円正坊遺跡Ⅳ、長野県
佐久市教育委員会、2002年3月。
写真は、前記pdfファイルの図版40、”
H10・H11号住居址”の右隅3段目中段
に有り遺物番号は19で、写真の右側の面に、
輪郭だけだが金将に見える黒い部分がある。
ただし”将”の字は草書体のように見える。

円正坊遺跡19金将.gif

 なおこの遺物の成立年代については、10
号・11号住居跡の成立が、何れも古墳時代
との旨、本文pdfファイルの、
939_1_枇杷坂遺跡群円正坊遺跡IV.pdf
14ページの図面に記載されている事から、
そのように発掘者は解釈している事が判る。

金将で間違い無ければ、将棋固有の名詞な為
大発見

となり、定説は覆る。
 しかしながら、上記の写真のように

単に石の凸部分についた黒い染み

のように見え、

古墳時代に平安小将棋が有ったとの証拠には
ならない

と本ブログでは、この程度の写真からは解釈
する。
 が、繰り返すと逆に言えば、もし同類の遺
物で、金将の文字がはっきりと記載され、成
立年代が、この時代程度のものが出土すると、

定説は簡単に覆る状況

であるという現実に、注意が必要である。な
お、わが国では古墳時代の遺物は、多数の出
土例が有る。つまり実際には

早い到来説の当否に関する曖昧性は、思った
ほどは無い

のである。
 ようするに早い伝来説派は遺跡発掘で、こ
うした出土遺物を探しさえすれば、それで自
説が正しいという事が、割と簡単に証明出来
てしまうという事だと、考えられるのである。
(2021/02/22)

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